内に向かって探した後に情勢が完全に変わった
(明慧日本)最近、夫婦間の摩擦が大きく、さんざんな目に遭い、一度現実から逃避し、一人でどこか静かなところに行って修煉しようようと考えていた。ある夜、私は法を学んでいると、突然一つの意念が現れ、私は口出しをしすぎているのではないかと思った。夫も修煉者であり、どんな修煉者にも自分なりの修煉の道があるはずなのに、私はどうして他人の修煉状態を気にするのだろうか? 師父は全ての修煉者の面倒を見ておられる。それなのに、どうして自分の意思に従って動いてもらえば嬉しく思うのだろうか? これは他でもなく自己顕示に他ならないのではないだろうか? 事をする心までも重く感じる。
先日、彼が大法のことを何もやっていないのを目にして、私は焦ってしまったが、口にする勇気もなく、心を静めて法を学ぶこともできず、彼に対していい顔をすることができなかった。同時に彼も私を嫌い、私が口をはさむことをとても嫌っており、彼に話しかけると彼はいつも怒った口調で答えた。別なところにおいては大法を証明し、衆生を救い済度することができるのに、彼に対しては「どうしてあなたと一緒にやらなければならないのか」と思った。このようにして数日間が過ぎ、私は自分の内に向かって探し始めた。自分を変え、自分を修め、自分がやるべきことをしっかりとやり、表に現れた他人の修煉状態を気にしないと決心した。この意念が出ると、数週間にわたって心に絡まっていた結び目がほどけたように感じた。また心を静めて法を学ぶことで慈悲心が現れてきたように思う。
内に向かって探した後では情勢が完全に変わってきた。本当に変わった。彼は積極的に大法の仕事をするようになり、後になって彼はこう言った。「修煉状態が良くないときには、やることが神聖ではないので、無理してはならない」と。
実は内に向かって探すことでどんな問題でも解決できるのである。師父は我々の心だけを見ておられ、我々が心を正せば、すべては師父がやってくださるのである。
2008年3月11日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/9/173952.html)
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