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二言三言:極めて失敬

(明慧日本)最近、学法を通じて、私は突然悟りました。修煉者として、たとえ師父の説法中の一言に対しても、疑う(口では言わなくても、疑いの心を抱く)、ことは、師父に対して極めて失敬なことになります。

 どうしてでしょうか? 常人の中の例を挙げます。生活の中で、もし私は、私と会話をする相手の話が嘘だと疑うならば、つまり相手が自分を騙していると疑っているのではないでしょうか? もし、相手が私を騙したら、すなわち彼はペテン師になります。

 ですから修煉の中で、もし私は師父の説法の中の一言でも疑うならば、私は師父を疑っているのに等しいのではありませんか? 師父を罵っているのに等しいのではありませんか?! 実は、ひそかに思うことさえ、師父に対して極めて失敬なことになります。ただちに大きな漏れが形成され、宇宙の中にある邪悪な要素が、これを口実に迫害を行ないます。ですから、私達は必ず100%師父と法を信じることで、初めて師父を尊敬しないという大罪を犯さなくてすむのです。

 2008年3月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/3/17/174495.html