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私達の集団学法が更に神聖になるように


 文/オーストラリア・シドニーの大法弟子

(明慧日本)集団学法はすでに私達全体の向上に重要な形式になりました。この環境の中の大法弟子が表した高尚な言動も私達を精錬し、私達を向上させる重要な要素になりました。

 集団学法が更に神聖になるように、私達は特に以下の提案をします。

 一、皆集団学法に参加できるように望む

 偉大な師父は最近『オーストラリアの修煉者に法を説く』の中で何度も集団学法の重要性を指摘されました。『シンガポールでの法会における講法』の中にも1段落の説法があります。「弟子:もう大量の時間を討論に費やさないでください」と師父は『法に溶け込む』という経文の中でお話しされましたが、勉強会に参加しなくてもよいと理解している人もいますが…」。「師:グループで本を読んで法を学ぶことも個人ですることも両方とも必要なことです。極端から反対側の極端に走らないようにしてください」。

 私達は必ず集団学法をしなければなりません。それは全体修煉の向上で一つの重要な要素です。私達が集団学法をする時、真に修める大法弟子の身に現われた「真・善・忍」に同化した後の高尚な言動は、みんなに「学んで比し修して比し」、共に高めることができます。現在続々と各種の形式で法を得て、新しく入ってきた修煉者がいますが、この環境は目下世の中での貴重な浄土です。正しくない要素を滅し、みんなに更に精進させることができます。

 二、皆時間どおりに集団学法への参加を望む

 オーストラリアの大多数の同修は多くの法を実証するプロジェクトを担当していながら、同時に最大限に常人の形式に符合して、生活の中で異なる役をして、仕事や勉強をしっかりと行わなければなりません。やる事が多くて、時間はきつい。異なった程度で集団学法の時間に矛盾をもたらしています。時には来られないとか、来たとしても個別に早めに退場する現象がありました。学法を組織する同修が大多数の修煉者の意見に合わせて、合理的に最も手頃な時間を按配して、学法後の発言や交流をよく組織する以外、同時に皆さんが旧勢力の妨害を克服し、互いの協力を重視することができて、そして時間どおりに集団学法の全過程に参加できるよう望みます。

 現在中国大陸では、たくさんの同修が生死を放下するという正念をもって、時間どおりに集団学法に参加しています。彼らはこれを「揺るがされない」と称しています。未来の宇宙の中の佛道神の修煉上の集まりは常人の中のいかなる事よりも重要です。これは今依然として厳しい環境の中で、彼らが正念と正しい行いを堅持し、法を正すプロセスに着いていくのに、一つの重要な形式になりました。

 比べて見ると、私達は差があるのではないでしょうか? もっとよく行う事ができないのでしょうか?

 三、正式の服装で集団学法に参加することを望む

 法を正す時期の大法弟子として、私達は最も良い一面を現すべきです。私達は常人の中で修煉しています。師父は私達に太極真人の張三豊氏のように、深山の原始林での修行方式を按排しておられないため、私達はふだんの身なりですが、外観のイメージには注意しなければなりません。特に神聖な集団学法の時に、私達は皆季節に合う最も良い服を着るべきであることを悟っているでしょうか? 華麗ではなく、きちんとした服装だと、師を尊敬し法を尊敬する気持ちがみえます。学法にいく前に入浴し着替えてから出かけていく大法弟子もいます。

 ある同修は「私は一日仕事しているから、着替える時間がない」と言う同修がいるかも知れません。「そんなに面倒なの?」としばらく思う同修がいるかも知れません。

 みなさん考えてみましょう。もし、あなたが、夜、常人の高級な宴会に参加するとしたら、あなたはどのようにしますか?

 更に、身の回りで教会堂にでかける敬虔な信者が、いつも礼拝の時に身につける服装を見てご覧なさい。私達法輪大法の真修弟子は皆現在の伝統宗教の真相は分かっていますが、彼らがその中で修煉して、将来本当に圓満成就できるかどうかの根本的な問題に直面しています。

 比べて見ると、私達は全宇宙の最も幸運な生命——法を正す時期の大法弟子として、私達は最もよくやり遂げたのでしょうか?

 四、集団学法の環境を大切にするよう望む

 集団学法の環境は全体の法を学ぶ効果に影響しています。オーストラリアの環境は中国大陸とその他の自由な地区と違いますが、しかし修煉の向上の面ではすべてのオーストラリアの真修弟子に対して同様に厳格な要求があります。同様に法をもって私達のすべての念は法の異なる次元での基準を達成したのかどうかが測られています。

 私達には現在まだいくつかの現象が存在している

 (1)集団学法の時、教室を借りる同修とその他の同修が皆さんのために席を並べていました。一部の修煉者が来た後に、自分の好きな席を選ぶので、その他の同修はどうしても移動しにくくなります。そのため責任者の同修が入り口のところで、一人一人後から来た人に対して、前のほうから順次に座ってくださいと提案しなければなりません。

 私達は知っていますが、師父がその年自ら法を伝え、9日間の講習班を行われた時、最初は前に席を占める人がいましたが、その後大法の感化の下で、みんなは意識的に内に向かって探し、行動は自然に協力し合い、環境はすぐ調和が取れたのです。

 大法弟子の歩いできた正しい道は修煉者の参考になりますが、その中から私達は何を悟れるのでしょうか?

 (2)また学法の組織を担当する同修は、一部の修煉者に、彼らに異なった形式で集団学法を支持、参与してもらいたいのです。例えば、最近の修煉感想をちょっと書いてもらうとか、皆さんが交流する時に良い提案を出してもらえるかどうかですが、しかし実現することには難しさを感じています。

 拒絶する理由は、多くの大法の仕事を負っていて、更に多くの時間がないと言う修煉者がいれば、本当によく考えができていない修煉者もいます。また修煉状態が原因でできない人もいます。しかし、同時にその他の修煉者は人心があって、妨げられているかどうかです。面倒なことが嫌で、自分は駄目で、常人の事と矛盾しているとか

 ……

 師父は『常人の心を放下して着実に修め続ける』という経文の中で「その特有の常人の心を放下できるかどうかは、皆さんにとって乗り越え難くても、必ず乗り越えなければならない一つの大きな関なのです。いずれにしても、着実に修める弟子として、必ずこの執着を放下しなければいけません。なぜなら、この心を放下することなく圓満成就することは、絶対にありえないからです」。

 私達の同修が大法の法理の上で書いた文章は邪悪を震え上がらせる鋭利な武器であり、法理の上で言い出す提案は旧勢力要素の按排を打破する法器です。だから私達は本当に重視するべきなのです。

 (3)集団学法の時間はとても貴重なので、同修が発言する時に草稿が用意できていることを私達は心から願うのです。私達は皆知っていますが、私達が心を静めて学法する時、あるいは法理を考える時、私達の心性が新しい基準に達した時に、師父の法身あるいは正神はその次元の法理を私達に開き見せることができます。しかし私達は一般の言語でよく明白に表現できず、その上よく修めた部分はすぐに隔離されるため、簡潔で正確に表現するために、できるだけ言いたいことを文字で書いたほうがよいのです。この過程も一つの修煉、昇華、内に向かって探す良い方法であり、同じく学法を組織する同修に私達の発言する時間を知ってもらうことができ、法理の上から確認してもらうことができます。

 尊敬する各位の同修、この法が世間を正すことが間もなく来る時、1分1秒は非常に大切であると同時に、私達に一歩一歩を良く歩ませて、いっしょに内に探して共に高め、共に精進しましょう!

 足りないところがあれば、慈悲のご叱正をお願いします!

 2008年3月20日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/2/14/172340.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/2/26/94805.html