■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/03/20/mh210214.html 



モノクロ撮影の大家:神韻の完璧な演出を褒め称えた(写真)

(明慧日本)李松茂氏は台湾および中国の撮影界で有名なモノクロ撮影の大家であり、郎静山氏に弟子入りした。3月16日、李氏は妻と一緒に台北の第4回公演に出席した。

 ちょうど帰国した時に神韻公演を見ることができて幸運です

 李氏は雲南に旅行に行って、16日の朝に台湾へ戻ったところで、夜の神韻公演を鑑賞にいけるかどうか躊躇った。公演の休憩時に取材を受けた彼は次のように話した。「すべての演目がすばらしかった、ここで座っていて動きたくなかった。見に来てよかった!」と何度も語った。公演終了後、こんなにすばらしい公演は「もし見逃したら、一生後悔する!」とも述べた。

李松茂氏

 李氏は神韻の舞台が現したもの、衣装、色づかいとすばらしい創作を称賛し、感動していた。そして「全くすきもないほど完璧」だと語った。李氏は取材に応じて、次のように話した。

 『万王が世に下る』の舞台やシーンは光り輝いていきいきとしていた

 李氏は、見たこともないすばらしさで、ドライアイスの効果によって生き生きとした天国世界の美しい景色が観衆の目に写り、まさにその世界にいるように感じさせたと述べた。

 司会者は中国語、英語、台湾語を使ってユーモアを交えていた

 2人の司会者は一人が中国語で、もう一人が英語で時々ユーモアを交えながら話し、地元の台湾語も加えたりしながら、観衆の熱烈な拍手を引き起こした。

 スクリーンは明暗、善悪を表現した

 李松茂氏も妻もすべての演目がとても良かったという。一番好きな演目は何かと聞くと、彼は『昇華する蓮』が最も印象に残っていると話した。また、彼は撮影専門家として、演目によって、スクリーンと舞台に明暗、善悪の対比を表現したと感じ、特に凶悪な警察が現れる暗い色や天国を見た時の光り輝きについて、小さな舞台が時空を超えたようで、本当に素晴しいと語った。

 「獄中の法輪功学習者が迫害される内容を見てから、善良な信仰を尊重すべき、権力者は民衆の精神の自由を剥奪する権力がないと強く感じ、台湾の地で基本的人権を手にすることができてよかった」。

 『波間で舞う天女』の表した青い波は柔らかく美しい

 李の妻は『波間で舞う天女』が好きだという。「青色の衣装はとても上品で、スクリーンに映った海の青と調和していて、ダンサーの持つ扇子のシルクはまさに波そのもののようで、柔らかくて明るい青色を取り入れ、全体が生き生きとしていた。とても気持ちよかった」と彼女は語りながら、満面に笑みを浮かべた。

 彼女は中国の古典舞踊の身韻・身法の表れを賞賛した。また、女性ダンサーは柔軟性を備え、特に指と足の動作を注意して見たが、一挙手一投足は本当に神韻に迫り、バレエでつま先で立つような単一の動作とは全然違うと彼女は述べた。

 舞台に立体感があり衣装は色鮮やか

 李松茂氏は次のように話した。「芸術と精神は実に通じ合っているのです。中国画は筆と墨で、撮影は光を使いますが、神韻の舞台は立体感があり、メインダンサーと舞台の全体はすっきりしていて感動的。私の守っている伝統的なモノクロ撮影の精神と通じ合っていて、中華文化の雰囲気や美しさを自然に伝えている」。

 衣装のバランスと色や各民族の衣装の特色も、更に2人を大いに驚かした。李松茂氏は「衣装のデザインが素晴しい、色はとても明るくてあでやかで、美しくてたまらない」と話した。ダンサーのレベルが高いと彼は絶賛した。

 ダンサーは厳格な基礎訓練を受け、完璧に演出

 リードダンサー(任鳳舞氏)の身体の柔軟さ、表情、スタイルを称賛すると同時に、ダンサー達は全体的にスタイルが統一され、動作が整然としていて、高度な柔軟性について、李夫人は、「これは間違いなく選抜された人達で、しっかりとした訓練を受けている。本当に容易いものではない」と表した。

 李氏は、『大唐の鼓吏』で中国男児の勇ましさが表れており、力強い美しさを感じた。役者の表情も豊かで、全体として勢いを感じた。

 スクリーンの効果に高い評価 ダンサーと舞台を巧妙に一体化させた

 もともとオペラや芸術の公演が好きだという李松茂氏は次のように話した。「神韻の演目はこれまで見たことのないものだ。神韻芸術団の演目には、スクリーンが演目によって入れ替わり、生き生きとしている。バックスクリーンの映像は立体的で、ダンサーとスクリーンは一体化させた。」

 李松茂氏は、『覚醒』の演目に言及した時、正義を広めることは人類の平和にとって重要性だとした。「公演の精神に対してきわめて高い評価、賞賛した。ダンサーの人数は多いが、舞台の構成がまとまっている。色の使い分け、スクリーンの切り替え、および音楽の現れるなど、全体的に調和がとれている」。

 神韻の演出は一種の詩歌や絵画の境地である

 心から撮影を愛している李氏は、自然の山水の美しさをカメラにおさめるのが好きで、今日の神韻の舞台では異なった芸術的手法で一種の詩歌、絵画の境地を表したと述べた。ここまで話したが、彼は喜んで「見に来てよかった!」と話した。国に戻ったばかりのため、家にいて疲労を取り除きたかった彼は公演を見た後、いきいきとして元気いっぱいになるとは思わなかったという。「ここに座っていて動きたくなくなりました!」と嬉しく話した。

 舞台の創作は大したもの 逃せば一生後悔する

 彼は「『神韻』のネーミングが本当に良い。役者の動作、表情と舞台、精緻な衣装はすべて神韻を表現している。そのため、神韻のようなハイレベルの公演は真の中華文化の内包を表している。大いに広めるべき。舞台の創作は本当に大したものだ!」と賛嘆した。

 最後に、「こんなに素晴しい公演、人を感動させる公演は『見逃せば一生後悔する』と人々に伝えたい」と付け加えた。

 2008年3月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/3/17/174547.html

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