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我慢の限度を超え、斉偉さんの家族が北京公安を告訴

(明慧日本)北京の法輪功修煉者・齊偉さんは2008年2月22日の晩に連行されたが、中共当局は斉さんの行方を知らせなかった。家族は14日間消息がなく探せなかったため、我慢の限度を超え、弁護士に頼んで、朝陽区国保警官の張英男、戚玉林と徐勇、安貞派出所の所長南慶軍、警官の劉勲、劉振強、安貞役場の王秀英ら11人を、不法拘禁、不法捜査と涜職罪の疑いで朝陽区検察院に告訴をした。弁護士の努力で、朝陽区検察院はしぶしぶ受理した。 

 2008年3月6日、当局はやっと家族に齊偉さんが朝陽区留置場で拘禁されたことをしらせ、弁護士は最近接見することができた。齊偉さんは不法に拘禁されるのに抗議して、6日間ハンストした。現在は体が弱り肝臓が痛むため、家族は積極的に斉さんを釈放して治療させるように求めている。 

 1999年7月20日より、悪党のごろつきグループは法輪功を弾圧し始め、齊偉さんは「真・善・忍」の信仰を堅持したため、何度も不法に逮捕監禁され甚だしきに至っては労働教養処分を科され、弁護士の営業免許も理不尽に取り上げられた。齊偉さんはかつて安貞派出所、朝陽区洗脳班で拘禁され、現在不法に朝陽区留置場に監禁されている。 

 今回はただ自分の乗用車を法輪功修煉者の楊輝さん、白少華さんに貸していたため、(彼ら2人は懐柔へ行く道中に検問されたときに連行され、現在すでに不法に労働教養されている)中国共産党の手先の公安警察は訴訟手続をせず齊偉さんを強行して連行し今なお拘禁している。同時に二度家宅捜査を野蛮に行い、また齊偉さんのお母さんを捕まえると脅した。お年寄りのお母さんは息子を心配し脅されたため、現在病院で倒れている。 

 2008年2月22日の晩9時20分ころ、齊偉さんと新婚の奥さんは家の傍を散歩していた際,安貞派出所警官の劉勲、劉振強は朝陽公安支局の警官の張英男ら「私服」4人と連携して、いかなる令状も提示しないまま、劉振強は齊偉さんの口をしっかりと覆い、他の人は布で齊偉さんの頭を覆い、劉勲は齊偉さんを殴ったり蹴ったりして、安貞派出所まで不法に連行した。翌日午前8時に、齊偉さんに手錠を掛けて引き摺りながらパトカーに無理やり連れ込んで、北京四環地区にあるホテルのいわゆる朝陽区法制教育訓練センターに移送して、23日の午前から28日の晩まで、7日間の秘密の洗脳迫害を行った。その間洗脳班のボス・白新傑は,安貞西里役場の書記の劉、王秀英、女性幹部の郭らと連携して、恐喝したりだましたりした。齊偉さんは5日間ハンストをして不法な拘禁に抗議した。 28日の晩8、9時ごろに再び安貞派出所へ移送され、28日の晩より不法に拘留され、29日の午後3、4時に朝陽区留置場に拘禁されて今まで続いている。齊偉さんは強く安貞派出所の警官の付、孫、朝陽公安支局の予審隊長の張英男の下した不法な拷問に抗議した。 

 2月22日晩9時40分〜夜12時の間、朝陽区国保大隊の張英男は他の人を連れて、齊偉さんのお母さんを騙して家に突入し、6、7人の警官は野蛮に家財を差し押さえて、家をめちゃくちゃにしたものの、いわゆる証拠を探し出せなかった。しかし、強行して齊偉さんの仕事用ノートパソコンと外付けハードディスクを没収して去った。 

 2月25日晩7時〜夜12時、朝陽区公安支局の国保大隊の警官の戚玉林と徐勇は10数人の警官を連れて、齊偉さんの家の3重ドアを破壊して突入し、5時間をかけて家宅捜査をしたが依然として彼らの欲しい証拠を探し当てられなかった。それでもったいぶって、齊偉さんの母の部屋にある洋服の中から「探しだした」2枚のCD、1枚は「九評」、1枚は「全世界華人新年祝賀祭」を振って、齊偉さんの母を恐喝した。 

 2月29日晩、警官は齊偉さんの姉婿に電話をかけて齊偉さんのお姉さんの電話番号と会社名を聴いて、その後会社のリーダーは斉偉さんのお姉さんを呼んで「警告談話」をした。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年3月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/3/20/174736.html