日本明慧
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良い事も悪い事も、すべて良い事


 文/大陸の大法弟子

(明慧日本)毎日煉功する時に、私はいつもしたくありません。心の中で、修煉は煉功すべきだと分かってはいるものの、一方でもうひとつの考え、煉功は面倒だ、動きたくないという気持ちが湧いてくるのです。この二つの考えは、私が煉功する直前にいつも争っているのですが、もちろん私はやはり煉功するのです。

 今日、私は煉功をしながら考えました。なぜ煉功をしたくないのか? なぜこのような考えがずっと私を邪魔しているのか? 私は修煉者で、なぜ修煉するのか? やはり自分を高めて向上するためではないのか? 煉功こそ自分を向上させる機会ではないのか? 煉功は体を転化させるだけではなく、また心を修める機会です。その煉功をしたくなく、面倒くさがる考えは決して私自身ではありません。それは安逸を求める心です。そのときこそ、それをなくす良いチャンスではないでしょうか? この安逸を求める心が現れたとき、直ちにそれを一掃するのです。しばらく発正念したあと、私はとても気持ち良く感じて、煉功したくない気持ちは全くなくなりました。

 同時に、私は以前、いつも人心の妨害が気になっていましたが、これも間違っていたと悟りました。それが妨害しに来るからこそ、それは私の空間場の中に存在していることが明らかになり、それが邪魔をしたら、私はちょうどこのタイミングでそれを消滅すればよいのです。一つをなくすと一つ少なくなり、この中でだんだん向上するのではないでしょうか? ここまで思ったら、私の心はとても広々と、明るくなりました。一気に妨害されるという恐れる心を取り除いて、今私は恐くなくなりました。その邪魔が来たら、私は向上する機会がやってきたと思えば、すべては良い事なのです!

 煉功は安逸を求める心を無くす良い機会であり、真相資料を配布する時も恐れる心を無くすチャンスです。各種の環境の中で、どの人心に触れてもすべてそれを無くす機会です。行いながら修め、修めながら行うのです。そうすれば同時に心性も絶えず向上し、法を実証する効果もますます良くなるのです。

 2008年3月26日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/3/24/175030.html