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学法と精進

(明慧日本)学法は精進の前提です。学法しないと精進できません。しかし学法したからと言って精進できることではなく、本当に法に従って自分を修煉しなければいけません。ある修煉者たちは法を暗記すると精進できると思いましたが、暗記してもあまり変わりませんでした。私に言わせると外に向かって修煉しているからだと思います。

 ある同修は条件が整えば精進できると言います。例えば朝の煉功について、ある同修は自分の家庭状況がほかの同修のようであれば、朝煉功できると言い、仕事もほかの同修のようであればできるなどの言い方をしますが、これは外に向かって求めているのではないでしょうか?本当に心の中から精進しようと思えば、自分がどうすべきか分かるはずです。しかし、本当に次元を高める時に、あれはだめ、これはだめだと言います。我々は、常人のこのような生活の中で法を実証しながら自分を修めています。決して常人の生活に束縛されてはいけません。

 生活の中で自分の一思一念、一言一行に注意して法により自分の思想を正し、間違っていることを知りながら理由をつけて機会を失ってはいけません。

 生活のところどころで自分を厳しく要求して、執着を勇敢に捨て、放棄しなければいけないと思います。毎回次元の向上と、境界の昇華は自分に自信と勇気を与え、もっと高大な法を感じられるよう、厳しく自分に要求しなければなりません。毎回心の執着に接触する時に、理性的に自分を抑え、自分の中で次元を引き上げるよいチャンスが来たと喜ぶべきだと思います。

 邪悪が我々の修煉を妨害し、旧勢力が過去に按排した邪悪の要素が、我々の修煉においていよいよ働かない状況になって(精進してない同修は旧勢力を否定してない)学法し、法で自分の修煉を導き、執着を見付けたら法の要求に従って自分を正す、そうであれば我々は強大な力で常人をさらに救うことができ、自分が正法の中でやるべき役割が発揮できると思います。

 2008年4月2日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/27/175157.html