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経文『沙を淘げる』を学習して思ったこと

(明慧日本)師父の経文『沙を淘(よな)げる』のタイトルを見たとき、私の心の中に浮かんできたのは『転法輪』の中の「修煉はまさにそうで、最後に残ったものこそ黄金です」という言葉が繰り返して頭から離れませんでした。そうですね、もう最終段階に来ていますから当然黄金とそうではないものとを区別しないといけません。黄金ならば間もなく光り輝くでしょう。これは実に非常に厳粛なことです。

 私は身の回りで起きている修煉者(同修)の間の食い違いと矛盾を思い出しました。何回も上手に解決できず、このアッという間になくなる時間を大事にしていません。ある同修は煉功の動作が正しくないとか、朝起きないとか、本当にあってはいけないことです。朝の煉功を始めた時、同修者の一人は、朝起きられなかったらどうするの? と質問した時、別の同修はこう答えました。もしちょうど皆で朝の煉功の時に円満の時期が来たら、起きられなかったあなたは、どうするの? 師父はあなたをどうするの? これを聞いたこの同修はそれから一度も遅れません。朝、必ず起きるようになりました。

 ある同修は煉功動作が師父の要求通りになっていません。ほかの人が見て非常に彼のために焦っています。何回も直してあげてもなかなか受け入れません。いつもフラフラと揺れています。注意すると怒ってしまいます。師父は我々に「主意識を強めてきちんとしなさい」と教えて下さっています。主意識を強くもち、法理の上で理解すれば、絶対フラフラと揺れないはずです。静功を修煉する時、ある同修は寝てしまいます。これは絶対やってはいけないことです。フラフラと揺れることや動作が要求に合わないとか、靜功の時、寝てしまうとかは、師父の要求通りにできていないことになります。我々は、もう一度煉功のビデオを見るとか、『大円満法』を読むべきです。

 もう一つの問題は、集団で法を学習するときに法の文字を間違えて読んだ時、隣の人が間違いを指摘しても直さない人がいます。これは「明慧ネット」で発表された文章にもこの問題が指摘されていました。自分と関係が良くない同修が指摘した場合、訂正したくないのです。私が思うにはこの心も取り除かないといけません。我々は法を読んでいるのです。法を学習しているのです。間違って読んだら必ず訂正して正しく読む必要があります。自分と仲が良くない同修が指摘した場合でも、必ず指摘どおりに訂正するのです。それによって法を正しく読む目的にも達し、同修との矛盾もなくなります。これは本当に一挙両得なのです。

 もう一つは、集団で法を読むとき、別の人が読んでいる時、自分は声を出さないで心の中で読むべきです。別の人が読んでいる時、関係ない事を考えたりやったりしてはいけません。我々の師父を尊敬する気持ちと法を尊敬する気持ちがそこから分かるのです。我々が法を読んでいることは決して形式に流れることではなく、必ず厳粛に対応すべきです。姿勢は正しく、心の中は清浄にして法に専念しないといけません。自分を厳しく要求しないといけません。昔の人はお寺に行って線香をあげてぬかずくときは、まずお風呂に入って身体を清浄にしてからお寺に入りました。我々は宇宙のすべてを創った大法を読むとき、法を大事にすることは本当に当然であり当たり前のことなのです。

 私は普段、自分がお金や財産を強調し過ぎていると見ていました。そのため、若干、邪魔に遭ってそれを乗り換えた後、金銭に対する執着心は薄くなったと思っていました。しかし、最近、起きたことに私は大きく打撃を受けました。やっと自分が「名利」や「情」に対する心がとても強いことに気づきましたがずっと言えませんでした。話したら恥ずかしいと思ったからです。非常に強い執着心を抱いているからです。私は仕事に出ていないので、私の「名利、や「情」は薄いと思っていました。しかし、子どもの成績に対する執着心は私の最も重要な「名利」や「情」になっていました。子どもの成績が良い時、私は心の中でにこにこと笑っていて、成績が悪い時は、心の中ではいつも喜んでいませんでした。

 はじめの頃、私はこの心に気づいていませんでした。まるで当たり前のように思っていました。しかしこれがエスカレートして、本来非常に優秀だった子供の成績がドン底まで落ちてしまいました。私は非常に悩みました。はじめて内へ向かって原因を探しました。子供が精進しなかったからだろうか? しかし、子供には子供の状態があり、彼は法をたくさん読んだら成績が上がります。実はこれも子供に対する「情」であり、「情」に対する執着心であるのです。それからは、私は繰り返し法を学習しました。突然、頭脳に「名利」、「情」というものが現れました。そうだ!「名利」、「情」は非常に深いところに潜んでいました。本当のところに触れなかったら気が付きません。「情」だけではなく、「名利」の心も全部捨てるべきなのです。

 師父は我々の為に深い心遣いをしてくださいました。経文は我々の修煉に対する指導書です。修煉が順調に前へ進むために、そして我々は最も良い状態で衆生を済度するために常に師父は心配してくださっているのです。大法弟子として、しっかりするべきであり、悟るべきであり、矛盾にしても、食い違いにしても、それらを全部一つも残さず捨てるべきです。慈悲心で周りの人々と付き合い柔軟に対応すべきです。これからは二度と同修と争うことをしません。

 家庭での矛盾も乗り越えるべきです。同修との付き合いも決して容易なものではありません。自分の執着心は自分に障害をもたらしているのです。自分の考えで他人を変えるという心も「情」から生まれたもう一つの執着心であるのです。指摘した人と指摘された人は共によく考えるべきです。『沙を淘(よな)げる』黄金になりましょう。

 個人の体得であり、不適切なところがありましたら是非慈悲心を持って訂正をお願いします。

 2008年4月4日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/31/175533.html