日本明慧
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本当に自分に向かって探してこそ、師父の慈悲深い済度に恥じない


 文/中国大連の大法弟子

(明慧日本)先日夜9時過ぎ、私は同修からかかってきた電話を受け取りました。電話の内容は不明瞭でしたが、私はすぐにその意味を理解しました。翌日、当地の「610弁公室」の邪悪組織のある所で行なわれる会議に対して、発正念をするということです。同修は私にできるだけ多く他の同修に知らせるように頼みました。これは当地区の法を正す活動ですので、すべての同修に参加させるべきだと私は思いました。それで、私はAさんとBさんの2人の同修に知らせました。同修のAさんは聞くとすぐに「了解」と言いましたが、同修のBさんは聞いた後に、「あぁ」とだけ答えました。結果としてBさんは翌日、私の居住する団地の同修Cさんの家まで来て、私が彼女に法会に参加させたことで、彼女の夫が怒った(彼女の夫は常人)と言いました。彼女はわざわざ私を探しにきて、この事を言いにきたのです。今後二度と家へ電話をかけないで、二度と連絡してはいけないと言われました。それからまたオリンピックや、敏感な日は情勢が緊張するから、安全に注意しなければならない、家の中の大法の資料を片付けなければならないなどを多く話しました。

 さらに同じ団地に住んでいるCさんも私に彼女の家まで資料を送らないように言い、これから彼女は資料が必要であれば、自分で取りにくると言いました。私自身は短気な人間なので、これらの法に基づかない邪悪な按配に順応する話を耳にし、私の態度は多少焦ってしまいました。甚だしきに至っては同修の誤解に対して内心不満を感じて、他の人に是正を評価してもらいたいという心が少し起きました。私は矛盾が来た時に内に向かって探さなければならないことは分かっていますが、しかし私は何を探すのですか? 私は間違っていません。

 翌日、私は仕事を処理し終わってから、ドアを閉めて師父の『オーストラリア学習者への説法』ビデオを見ました。見ているうちに私は抑えられずにしきりに涙がほろほろと流れて師父の話を思い出しました。「皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取り除き、皆さんの魔性を暴露させることで、それを取り去っているのです。皆さんの向上こそ、この上なく重要だからです」(『精進要旨』「再認識」)そうですね。私は法を正す活動を同修に知らせて参加してもらうのは間違っていないと思うのですが、誤解が生じたのも事実です。これは私に何の執着心を取り除かせているのですか? 私に容量を拡大させ、私を高めさせるのは確かですが、私のあまりはっきり分からない執着がまだ取り除かれていません。

 3日目に私はもう1人の同修と交流する時、同修は私に「あなたはどう思いましたか?」と聞きました。私は「私の容量を拡大させ、私を高めさせています」と言いました。同修は頭を振って「やはり内に向かって探さなければならなりません。口調や、善の心が足りないのではありませんか、どうしてあなたは同修のためなのに、かえって同修に誤解されるのですか?」と言いました。そうですね、どうしてですか? この問題はしきりに私にとり付いて、私が暗唱したことのある師父の法が絶えず脳の中にぱっと現れて、家に帰る道中で、私は突然自分を悩ませる問題点を探し当てました。「7.20」までに、私はBさんとCさんと同じ学法グループにいて、妨害や常人の心が取り除かれていないため、私はBさんとその他の同修が「徒党を組む」という見方がありました。このような見方は長年を通して多く修められ取り除かれましたが、しかし、ほんの少しまだ深く隠れています。ふだん触れていない時、なくなったようですが、物事にぶつかった時、とても深く隠れていた見方がまた顕われました。常人のものが上がってきました。師尊はこのような方式で、私の深く隠れている執着を暴露して、それを取り除かせるのです。それを取り除くべき時になりました。私が再度内に向かって探すことは自分をきれいに浄化することにほかならないと体験しました。

 96年5月から修煉して以来、感動的なことがたくさんありました。師尊は私の人間としての一面を愛護して、私に人の執着を取り除かせるのです。大法は私に法の殊勝さを体得させて、同修の率直、寛容や助けの下で私を精進させてくれたことに感動しました。修煉の道程を歩んできて、私はますます師父が按配してくださった道を大切にするようになりました。ますます本当に自分に向かって探すことは何なのか、どのように行なって初めて内に向かって探すことになっているのかが分かりました。今日、私は本当に自分の執着を探し当て、私の執着を取り除くために、師父の慈悲な按排が分かった時、私はどうしても涙を抑えられなくなりました。ここで私は師父に対して言いたいです。師父、ご心配なさらないでください。弟子は必ず最後になればなるほど勇猛邁進してやり遂げ、神に向かう道で遠回りをしないようにします。私と間隔のある同修に対して言いたいです。申し訳ありません! 私の心には間隔があります。私はそれを探し当てたら、1秒もそれをとどまらせません。私は皆さんと一つの難攻不落の全体を形成して、私達の先史の大きな願望を完成させましょう。

 2008年4月7日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/4/175790.html