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ハルビン市阿城区:エン宏傑さんが生前に受けた迫害

(明慧日本)2008年の新年、ハルビン市阿城区のエン宏傑さんは体調が悪化し、2月24日にこの世を去った。エンさんは生前、一面坂労働教養所と綏化労働教養所で残酷に虐待された。

 エン宏傑さん(46歳男性)は1998年1月に幸運にも法輪功の修煉を始めた。修煉する前は胃、気管、肺などに重い病気があり、全身に力がなく、瘠せていた。法輪功を修煉して以来、体にとても大きな変化があり、すべての病気がなくなった。仕事をしても使いきれない力があり、歩くとき後ろから押されているようだった。エンさんは法輪功の「真・善・忍」の要求に従って、自分を律し、良い人になり、人を騙さず、人と争わず、人に善の心をもって接した。

 1999年7月20日、共産党は法輪功を中傷し始め、法輪功修煉者を迫害した。1999年11月、エンさんは法輪功の真相を伝えるために、北京の陳情オフィスへ行ったが、北京駐在(黒龍江省)オフィスの警官に連行され、現地へ戻された。阿城留置場で3カ月監禁されてから、不法に1年の労働教養を科され、黒龍江省一面坂労働教養所に監禁された。その後また綏化労働教養所に移された。監禁期間が終了しても釈放されず、また不法に8カ月監禁された。

 一面坂労働教養所で、警官は肉体的、精神的に言葉では表現できないほど、残酷な迫害を行った。警官は共産党の頭目・江沢民が制定した手段、つまり名誉を汚し、経済的に破綻させ、肉体を消滅させる、を実行した。エンさんは法輪功に対する正しい信念を貫き、中共に妥協せず、中共の要求に協力せず、三書を書かず、法輪功を摘発、批判する資料を読まず、正々堂々と大法を実証した。警官はスタンガンで電撃し、長時間立たせ、睡眠を与えないなどの手段で迫害した。また受刑者に指図して、エンさんを殴打し、傷を負わせた結果、数日間も歩くことができなくなり、ベッドから下りることや、寝返りができなくなり、咳が出て、血を吐き、呼吸をすると全身が痛くなった。労働教養所の衛生環境はとても悪く、疥癬に感染し、体の多くの部位に膿胞ができ皮膚は潰瘍状態となり、膿と血が流れ出た。下着には常に血と肉がくっ付き、シーツは毎日血痕だらけになり、びっこを引きながら歩いていた。労働教養所の幹部や警官でさえもその姿を目にして恐れた。これほど迫害されていたが、エンさんは宇宙大法の「真・善・忍」に対する信仰をやめず、真理を堅持し、正義の意志を貫く決心はさらに強くなる一方だった。

 2004年4月25日、エンさんは他の法輪功修煉者と一緒に煉功した。労働教養所は強制的に彼らを山の採石場に行かせて、体力を超える労働を強いた。籠にいっぱい入れた石を肩に乗せられると、その場で石の重さに耐えられず倒れ、息が上がる人がいた。こうした情況でまた走りながら、石を山の上まで運ぶよう強要された。法輪功修煉者は体が傷だらけになり、肩の傷口から膿と血が流れ、骨が見える人もいた。夏には太陽の光で、採石場の気温は40度になっていたが、警官は修煉者に水を飲むことを禁止し、疲れて石を運べなくなると、山の上から引きずり下ろした。修煉者は衣服、ズボンがすべて摩擦により、ぼろぼろになり、脚からは鮮血が絶えず流れ出ていた。

 2000年年末、エンさんと他の修煉者は綏化労働教養所に移されて、引き続き迫害された。綏化労働教養所の警官はいろんな手段を尽くして、修煉者を邪に悟らせ、修煉を放棄させようと企んだ。エンさんは始終大法に対する正しい信念を堅持し、最後に労働教養所はエンさんに対する転向を断念するしかなかった。確固たる正しい信念はエンさんに接した警官、受刑者らを心から感心させた。2001年7月、綏化労働教養所はエンさんを無条件で釈放するしかなかった。

 共産党の迫害はエンさんの体に深刻な傷害を与え、経済面においても深刻な困難をもたらした。2008年の新年、エン宏傑さんは体調が悪化し、2月24日にこの世を去った。

  2008年4月8日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/2/29/173321.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/3/8/95152.html