■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/04/12/mh131218.html 



常人の状態に符合しないで修煉した教訓と再考

 文/大陸の大法弟子

(明慧日本)以前、同修のAさんと交流したとき、彼女は言った。「あるとき、私の親戚が亡くなったので、私は親戚の家に行った。たまたま同修のBさんが私の家に来たが、子供は私が親戚の家に葬式に行ったとBさんに教えた。Bさんは何も言わず、少し笑って帰ったという。私が戻ってから、子供は私にこの件を伝えて怒った。『お母さん、私はお母さんが葬式に行ったと話したけど、あのおばさんは笑っていたよ、本当に・・・』。Bさんは、この些細なことに気づいていなかったようだが、普通の人は非常に気になるだろう。

 Aさんはさらに自分の体験を教えてくれた。あるとき、彼女が病院に見舞いに行った。患者の病気が重く、話すことができなかったが、彼女が患者の耳の隣で「静かに法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしいと暗誦すれば、病気が治るよ」と言った。しかし、彼女が頭をあげたとき、患者さんの息子は怒って彼女を見ていた。彼女は驚いた、どこが間違ったのか?突然彼女は分かった。表情だ。さきほど話す時、彼女は微笑んでいた。その場にいた人々は気持ちはとても沈痛で、ただ彼女の顔は微笑んでいて、このような微笑みは普通の人には受け入れがたい。

 同修の話で私は深く反省した。私には普通の人の状態に合わない、良くない細かいところがある。あるとき、親戚が私を食事に招待した。彼はたくさん作っていたが、私はただ早く食べて家で学法しようとしか考えていなかった。さらに、私は常人と一緒にいること自体がぎこちないので、早く食べて早く帰ろうとした。そして、他の人がまだ食べている途中で、私は急いで席を離れた。その後、話によると、私の親戚は私の態度に非常に不満を持っていて、みんなの雰囲気を壊したことで、もう私を招こうとしなかったという。その後、私はたくさんの努力をして、やっと彼の私に対する見方や大法への誤解が解けた。

 また別のことで、私の部下が痙攣で気を失った。みんなさまざまな緊急手当てをして、ある人が針で刺激し、ある人は冷水をかぶせ、私だけが穏やかな態度でこれを見て一念を発していた。絶対に大丈夫、すぐに良くなるから、私はこのような状況を見たことがあると思っていた。しばらくして、この人は本当に良くなった。しかし、その場にいた友達が厳粛な顔で私に質問した。「法輪功をやっている人は人を助けないのか? さもなければ、他人がこんな状態になっているのに、あなたは微笑んでいるなんて!」私は急いで違うと説明した。しかし、別の部下が目に涙を浮かべながら、「私たちは普段いろいろな欠点があり、皆若いのですが、あなたが私たちにこんなに冷たいなんて・・・」と話した。

 この事件は私に大きな衝撃を与えた。私はそのとき心が動じなかった。常人は非常に苦しいと思っていて、自分は高い境地にいたが、まさかまわりの人にこんな傷害を与えるとは思わなかった。師父は次のようにおっしゃった。「常人の理に、一般の大覚者はめったに干渉しません。次元の高い覚者ほど、常人の理を壊さず、まったく干渉しません。」(『転法輪』(第5講)」)普通の人にとって苦しいときの表情はこのようである。これは人間には情があるから出てきたものである。私の微笑みは彼にとっては巨大な逆差で、これで彼に傷害をもたらし、大法を誤解させた。これでは彼を救うどころか、むしろ逆方向に押しやってしまった。

 この件で、日常生活の些細なことを思い出した。他人が買い物をするときによく選んでいたが、私は何も選ばないで適当に買っていた。結局、家に戻ると一部の野菜はぼろぼろで、家族は理解できなかった。このような些細なことはまだたくさんある。

 大法弟子はいかにして最大限度に常人の状態に符合するのか? 個人的にはこれは小さいことではないと思う。もし、われわれの行動が常人に理解されなければ、悪い影響を作ってしまう。人間界の理を壊し、衆生を救い済度するには難しくなる。常人は何を見ているだろうか? われわれの言動を見ている。われわれ自身の状態と形象で大法のすばらしさを表さなければならない。常人にマイナスのイメージを残してはならない。振り返ってみると、自分が常人の状態に合わないとき、ほとんどその中核はエゴで、相手を思いやっていなかった。相手の立場で物事を考えていなかった。これら些細なところは自分が修正しなければいけないところで、大法がわれわれに「無私無我、先他後我」の状態まで修煉して成し遂げるよう要求している。もし、われわれがこの基点から行動すれば、この問題を解決できる。実際に、常人状態に合わせることについて、気をつければ良くできるはずだ。

 去年、私はある先輩の葬式に参加した。当時親族が死者に額ずくことをしていた。私の番になると、私は厳粛な顔で合掌して、死者におじぎを3回し、心の中で死者にこういった。「絶対に法輪大法はすばらしいと覚えてください、真善忍はすばらしいと覚えてください、あなたは良いところに行けるはずです」。このとき司会は言った。「彼は修煉者で、彼は道家の礼儀で敬意を表している」。その場にいた人たちは、みな尊敬のまなざしで私を見ていた。その後、私は十数人に大法の真相を説明し、さらに彼らに共産党脱退を薦めた。ある定年退職の労働者は、私が帰るときに私を止めた。「先の言葉を教えてください、私は忘れました。私のために書きおろしてもらえませんか?」そして私は彼の手に「真善忍はすばらしい、法輪大法はすばらしい」と書いた。

 師父がおっしゃった、常人状態に符合するという法理に対する理解は非常に浅いもので、ここに書き下ろしたのは注意のためである。皆が互い交流し、法の上で向上できれば幸いである。

 2008年4月12日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/3/7/173807.html

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