日本明慧
■印刷版   

自分が他の人より上にいるという心を取り除く

(明慧日本)昨日、ある年配の同修が私の家に来て、一緒に学法、交流していく中で、真相ディスクの配布の仕方について意見交換しました。彼女はいつも書店に行くとき、ディスクを本の中に差し込んでいると聞いて、非常に良いアイディアだと思ったと同時に、「彼女はこんなに良くできているんだ」と強く感じました。

 私の観念の中で、いつも年配の同修は真相ディスクを配布したがらない、もしくは配布する勇気がないと思っていました。そのため、自分の家が真相ディスクを作成する場所となり、この面において他の同修、特にそれらの年配の同修よりも良くできていると思うようになり、他人を見下げたり、自慢したり、自分は他の人より上にいると思う心が非常に強くなりました。

 私は実際、修煉し始めてからまだ1年しかたっておらず、新しい修煉者ですが、資料を作成する場所は半年前にすでにできました。資料作成施設として成立した当初、同修は何度も私に対して、決して顕示心を抱いてはならないと警告しました。私も自分はこれらの良くない心はないと思っていましたが、実はこれらの心は非常に奥深くに隠れており、自分は修煉してまだ短いのに、こんなに神聖なことができるようになったが、周りのたくさんの同修が修煉してもう何年も経ったにもかかわらず、まだ自分ほど良く修めていないと感じるようになりました。これらの良くない心は非常に奥深く隠されていましたが、心を静めて探せばその存在を感じることがありました。

 集団で一緒に学法するとき、私は自分の中国語がうまく、流暢に読めてほとんど読み間違いをしないから、また他の人の上にいると感じるようになり、褒められるとさらにその心が助長されました。

 法を学び、何かの理を悟ったとき、「私はこの法理を悟りましたが、他の人はきっとまだ悟っていない」という一念がよぎることがあります。師父のオーストラリア学習者への説法を見てから、私は発正念するとき、大法弟子の間にある間隔、衆生が救われるのを妨害するすべての邪悪要素を取り除くべきだと悟りました。しかし心の中ではいつも、自分がこの一念を抱いていることを立派だと思って喜んでいました。

 今、これらの執着心を書き出して本当に悲しくなりました。毎日大法を学んでいるのに、真の法理をいつまでたっても悟りきれていません。すべては師父が行っているのであり、私は何かできたとしても、大法が私を選んだのであり、師父が私に機会を与えてくださいました。すべては法から生まれたもので、私は他の同修を見下げる資格は全くありません。この心は必ず取り除かなければなりません。

 個人の理解に過ぎませんので、不足があればぜひご指摘御願いします。

 2008年4月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/5/175812.html