日本明慧
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私はようやく内に向かって探せるようになった


 文/大陸の大法修煉者

(明慧日本)この間、私は長い間会っていなかったある同修と一緒に活動をした時、路上で私の心が動かされ、ある事に対して他の同修が間違って行なったと言いました。同修も同じく心が動かされ「相手はどうしてそのように行なったのですか」と言い返しました。私は、その時魔性がすぐに出てきて、もともとその同修の間違いなのに、どうして私を責めるのかと言いました。同修は「私はあなたに向かっているからこそ、あなたに言うことができます。他の同修のことを言ってもその人は聞こえないから」と言いました。私は心の中でとても不満に思いました。「私に言うとしても、公平に言わないといけない。先に相手同修がどのように法に基づいていないのかと言ってから、更に私の心性を高めなければならないという話だったら、私は受け入れることができるが、あなたがこのように私に言うと、私は受け入れません」と心の中で怒っていました。

 夜寝る時、私のお腹が膨れてたまらなく、 全身が気分悪くなりました。私は自分のどこが間違ったのかを捜し始めました。すぐに昼間同修との間に起きた事を思い出しました。心の中で「容量を拡大すべきなのに拡大していないから、膨れないことはないでしょう。心性が高まらないから、気分が悪くなるでしょう」と考えました。これに気づくと、気分がすこしよくなったと感じました。翌日、あの同修は、「某同修のパソコンはあなたが手伝って買ってあげるようにしましょうか」と私に教えてくれました。私は心の中で、「私がその同修を探して交流する時、彼は納得しなかったのに、他の人が彼と交流すると、彼はどうして賛成したのか」と考えました。それはどうしてですか。私は同修と交流するとき法の上に基づいてはいたが、しかし強烈な自己をもって人間の単純ではないものを交えていたので、その同修が受け入れたくないのだと分かりました。私は突然、どのように内に向かって探し、どのように自己を放下するのかを本当に認識しました。

 以前は同修とどのように大法の仕事をよく行うかを交流するとき、いつも法の上に基づいていると感じていたのに、どうして同修が受け入れないのか原因が分かりました。以前はいつも、この事が正しいかどうかを見ていて、いつも事実そのものについて論じることに陥り、その事から跳び出さず、その事を通して、どのような自分の心が暴露されたのかを見ていませんでした。法理の上から分かる時、本当にとても楽だと感じています。

 2008年4月15日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/4/10/176146.html