日本明慧
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慈悲の心をもって同修のまだ良く修めきれていない側面に対処する

(明慧日本)同修の間で互いを叱責したり、誰も相手の言うことを聞き入れない上、背後でさまざまな人心を抱いて誰が良くできているのか、誰が良くできていないのかなど、ひいては自分の見た夢を理由に、同修の間にある距離をさらに拡大していました。これは最近、私のいる地元の同修の間に見られる状況です。私はこれらの状況を見て、絶えず法を学ぶことで、これは、法を正す時期の最後の段階において、出現すべきではない状況だと感じました。

 私たち同修の間では、必ず互いとの縁を大事にして、邪悪に乗じられ得る隙を与えてはなりません。なぜなら、すべての大法弟子が良く修めている一面はすでに神となり、動かないからです。だからこそ、現れた良くない部分はすべて人間の一面です。

 私は次のように悟りました。すなわち、良く修煉できた部分はすべて神となり、動けなくなったので、良く修煉できていない一面はまだ人間の部分となります。ならば、一人の神として、人に対して慈悲をもって接するべきです。もし私たちすべての大法弟子の良く修めた神の一面がみな、慈悲をもってよくできていない同修の人間の一面に対処できれば、互いと比べて、共に精進できる良い環境を作り出すことができますので、間隔も自然と消えてなくなります。邪悪も乗じる隙がないので自ら解体するようになります。

 私たちが本当に真の全体を形成し、三つのことをしっかり行い、人間界に下る前の誓約を完成できるように精進しましょう。

 2008年4月16日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/4/11/176144.html