日本明慧
■印刷版   

一本の箸は弱く、束は強し


 文/大陸弟子

(明慧日本)華人新年祝賀祭で『箸の舞』を観たときには、別に考えもしなかったのですが、最近自分が経験した事から、この演目に対する思いが深くなりました。私の個人的な認識ですが、これは正法時期の大法弟子に対して、一丸になるべきことをとてもよく表現し、そのうえ未来の人々にどのような人になるべきかを教えています。ここまで書いて、済南市の同修に一言言いたいのです。「私達は一つの全体であり、くれぐれも外へ自分の同修を押しださないようにしましょう」。

 数日前に夢を見ました。家の中に三部屋があり、その部屋の居住者全員は大法弟子です。みんなは一つの門を使って中に入り、そしてそれぞれの個室にはいります。第一の部屋に住む同修は、個人崇拝の傾向があり、よく修めていると思われる同修に近づき、余り良くないと判断した人或いは自分の観念に合わない同修に対しては排斥したり軽蔑したりします。第二の部屋に住む同修は、前の同修に排斥された人です。第三の部屋にいる同修は、三つの事をしていますが、しかし全体に存在する問題に対してとても麻痺しており、無関心です。三つの部屋の外の環境はとても汚く、すべて厚いほこりに覆われています。私個人の感覚で言えば、夢の中は如実に済南市全体の現状の一部を描写していました。

 私自身は第二の部屋にいるのです。ここで私は自分のために弁解し、その真相を明らかにするつもりはありません。言いたいのは今度の経験がなければ、自分自身が過去全体を守り、同修に対する寛容がどれほどできていないかを知らないままでした。私もかつて陰で同修の悪口を言ったことがあり、過ちを犯した同修に文句を言い、気に入らない同修を蔑視したことがあります。しかし最近自分が経験したことを通じて、やっと意識しました。常に法を師にして、善意をもって相手を理解し、他人に対して寛容になり、心から同修のために思いやり、さらに正念を持って難関を突破する過程にある同修を加持することがどれだけ重要でしょうか! 全体にしても個人にしても同じだと思います。

 うわさが同修達の中で広がり、一部の同修がこれを軽々しく口にし、陰で同修の噂をするとき、それが果たした効果は同修を全体の輪より押し出していることなのです。当時私は外部になにかが発生したことはあまり分かりませんでしたが、しかし真実その圧力を感じました。即ち私たちの全体から私にかかったプレッシャーです。このプレッシャーは私を全体から離し、全体と私の間に間隔を造ろうとしました。その当時は、邪悪が心性のよくない人を利用して全体の中に揉め事を起こし、さらに全体を弱め、同修を迫害するつもりだと思っていました。だから私はずっと正念でこの邪悪な要素を取り除こうとし、同時に師父は啓示を続けてくださいました。さらに私はこの中の事情も次第に分かり、安全を考慮して引越しをしました。その引越し当日の午後、悪人らは元の所に行き私の行方を尋ねました。

 引越しの後、私はとても不公平に思い、どうしてこんなに多くの同修が心性のよくない人に邪魔され、左右されるのをなかなか理解できず、どうして直接私に真相を聴かず、私の良くない部分を指摘してくれないのか? どうしていつも陰でうわさをして事件を拡大するのか? なぜ平穏な環境ではいられないのか? とにかく文句と不平がどっと湧いてきて、私の全体を囲み、甚だしきに至って私はこの全体に対して嫌になってしまいました。この状況で、師父は2人の同修が私の方へ来ることを按排されました。彼らは常に法を師に、内に向かって探し、身近な事を法に照らして判断しました。しかも法を堅持し何ごとにも左右されません。彼らはいつも黙々として、回りの同修が早く難関を突破するように加持しまし、しかも自分のことをアピールせず、彼らは同修に対して無私で心からの奉仕をしていました。これらのことを見て私は感動のあまり涙をこぼしました。彼らの到来は私にとって、本当に雪中に炭を送られたように、私は再度全体の力と温かさを感じて、自分の性格の無さが分かりました。

 『箸の舞』で表現されたように、済南市の同修達がみなで力を合わせ協力し合い、最後の正法の道をしっかり歩むよう、期待しています。

 以上は私の個人的な体得であり、レベルが高くないので、同修達のご叱正をお待ちしています。

 2008年4月17日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/4/16/176607.html