朝の煉功に参加して思い付いたこと
文/山東の大法弟子
(明慧日本)私はまだ若かったため、修煉するまで体には病気がありませんでした。「『修』が先で、『煉』は後」という師父の説法を聞いた後、自分は偏って理解してしまいました。「修」だけを重視して、「煉」を重視せず、忙しくなったら、とても長い間煉功をしませんでした。三日坊主のことは更によくあります。かつて私は本をよく読んで法をよく学んでいたので、法を正すプロセスについては分かっていると思っていました。
妹に「姉さんはどうしてこんなに老けてきたのですか?」と言われるまで自分の問題に気づきませんでした。以前、美に執着する心がよく取り除かれておらず、常人の時に自分の皮膚が乾燥していることは、師父が私に与えた試練であるかもしれないと思っていました。修煉の時間が長くなるにつれてよくなっていくと思い、気にかけていませんでした。しかし時々自分は他の同修と違いがあるという事に気づきました。師父は『転法輪』の中で説かれていますが「性命双修の功法では、見た目には実際の年齢とすいぶんかけ離れて見え、外見からは人に若い感じを与えます」。しかし、私はどうでしょうか? 30歳余りなのに、顔が乾燥して皮が剥れ、しわが増えています。私は修煉者としてどうして師父がおっしゃった現象と相反しているのか? また私は法を正すプロセスについて、よくやり遂げたと思いますが、これは自慢する心ではありません。しかし毎日眠くて、長く寝て何かをすると疲れてしまい、体力と精神状態は50〜60歳の年配者にも及びませんでした。他の同修は毎日の睡眠時間がとても少ないと分かり、比べて見ると、自分の一つ一つの心はすべて暴露されてしまいました。
あなたはどれだけの時間を無駄にしたのですか? 自分が煉功しない事で、本体の転化は遅くなり、元気はありません。更によく衆生を救うという先史の大きな願望を完成させることも及びませんでした。もともと煉功はこんなに重要なことであり、修煉の根本的な問題に及んでいることが分かりました。更に自分を緩めて、師父の話を聞かないことの重大性を意識しました。とても危険です。更に同修たちが朝3時50分に行う煉功に参加する重要性を認識しました。もともとは私が煉功しないことは個人の事だと思ったのですが、同修と交流する中で、一部の(若い)同修が煉功を重視せず、自分の情況と類似していることが、この文章を書く動機の一つになりました。
私はまた朝3時50分の煉功に参加することは個人のことだけではないと思います。大陸の環境の下で、一部の同修は独自で物事をするひとまとまりのモードができて、自ら良好だと思っています。環境がますます緩められている状況下で、どうして朝3時50分の煉功が現れたのですか? 煉功を重視しない同修に注意してあげるとか、99年7月20日までに集団煉功の感じを探し当てたという事など、実は法を正すプロセスは今日まで歩んできて、全体として互いに協力し合い、圆容する問題があります。邪悪が少なくなっている情況下で、どうしてある地区では同修が連行され、迫害によって死亡することが現れるのですか?
同修と同修、地区と地区の間の間隔、対立、甚だしきに至ってはお互いに排斥して、口では言わなくても、心の中で相変わらず各自が思い思いのことをやります。『明慧週刊』毎号にはみな「弟子は研究し合って、全体が高まる」という欄があります。これは個人の修煉がどうのこうのという問題だけではなくて、みな大法の1粒子であり、個人のものを放下して、全体を基点にして物事を考慮し、全体を圆容しなければなりません。師父は全体の過程を見ていらっしゃるのです。この事の中で心がどのように動いたか、朝3時50分の煉功への参加はそんなに積極的ではなく、甚だしきに至ってはまた参加しない様々な理由と口実を探し出しています。それは個人のものを放下できていないのではありませんか? 実は99年の7.20以降の数年間の中で、みなそれぞれ自分の修煉環境があり、誰が誰と同じですか? 修煉は最も厳粛なことであり、個人のものを固守すると、修煉と衆生を救うことを妨害され、甚だしきに至っては損失をもたらすことがあります。同修を指摘するのではなくて、実は自分もはるかにこの面で足りません。
私達は師を助け、法を正し、今日まで歩んできて、特に99年の7.20から歩んできた同修は、修煉する事がいかに容易ではないかを体得しています。私達に限られている時間内に三つのことをしっかりと行ない、一歩一歩を良く歩み、師父の慈悲なる苦しい済度に背かないようにしましょう。私は師父が私達と衆生のために巨大な代価を払っておられることを考える時、涙がいつも流れます。同修に対して責任を負うことを考えて、個人が悟ったことを話しました。不適当なところがあれば、ご指摘をお願いします。
2008年4月18日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/14/176430.html)
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