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内モンゴル・フフホト市の法輪功修煉者・チルマラトさんは迫害により死亡

(明慧日本) 内モンゴル・フフホト市の法輪功修煉者チルマラトさんは、2007年8月8日不法に連行(2回目)され、翌2008年1月5日、残虐な迫害を受け死亡した。消息筋によると、生前は内モンゴル留置場で酷い迫害をうけ骨と皮ばかりに痩せこけ、話す気力もなかったという。

 チルマラトさん(72歳男性、モンゴル族)は、内モンゴル設計院のトップ・エンジニアとして、少数民族建築専門家であり、その名は「世界少数民族の有名人名簿」にも登録されていた。1999年より法輪大法を修煉し始め、とても健康であった。1999年7月に悪党が迫害を始めてからは法輪功の真相を説明し続けた。陳情書に署名したため、悪党に不法な2年間の労働教養処分を科され、五原労働教養所に拘禁され迫害をうけた。

 チルマラトさんは、五原労働教養所内では一番の年長者だった。当時、労働教養所内の警官らは、いわゆる「転向班」を作り「転向」を請け負った、さらに体罰を加え、いわゆる「訓練」として精神的にも迫害した。チルマラトさんは何度も恐喝を受け、ある日、「転向」しなければ労働改造隊に送ってやると警官に言われ、受刑者から24時間監視された。

 2001年7月20日、チルマラトさんは「真・善・忍」を信奉し、労働教養所から「公然と国、政府に対抗」したという理由で3カ月の延期迫害をされた。第1大隊の中で72歳の老人にもかかわらず、奴隷のような過酷な仕事をさせられ、さらに汲み取りを強いられ、「体能訓練」も強いられた。また受刑犯・劉正栄に殴打され、侮辱され、私財物を押収された。また朝食はあまり食べることが出来なかった。警官・趙乃東は劉正栄に指図し、チルマラトさんを殴打したこともある。五原労働教養所の食事は粗悪で、一年中、ジャガイモと白菜、それに白菜の漬けものばかりだった。

 労働教養所を出た後、2004年5月上旬、チルマラトさんは公園で真相を説明した際、悪党の私服警官に連行され、さらに不法に家宅捜索された。その後、労働教養処分3年を科され、五原労働教養所に拘禁され残虐な迫害を受けた。2005年初め、数カ月の禁足室を強いられた。迫害した者は・楊福容、王東雷、劉明らである。

 不法拘禁は2年間続き、身体の不調が原因で保釈された。

 2007年8月8日、真相資料を配布中、再び連行された。悪人らは労働教養所に監禁しようとしたが、身体の状態が悪いということで拒否された。しかし悪党らはチルマラトさんを内モンゴル留置場に拘禁し迫害を行った。12月6日から、絶食で抗議したが、依然として監禁のままにされた。その後、チルマラトさんの身体が危篤状態となり刑務所病院に運ばれたが2008年1月5日に冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年4月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/20/176844.html