遼寧省:範徳震さんの遺体が強制的に火葬された
(明慧日本)2008年4月21日午後2時10分頃、家族の許可を得られないまま、遼寧省葫芦市スイ中県公安局長は命令を下し、範徳震さんの遺体を強制的に火葬した。火葬現場は厳重に警戒態勢をとり、家族を火葬場の休憩室に監禁し、遺体と会うことも許さず、強制的に火葬した。
わずか33歳の若さで殺された法輪功修煉者・範徳震さんは、「真・善・忍」を信じて法輪功の修煉を始めてから、中国共産党に絶えず暴力と不法な監禁、強制連行などの迫害を繰り返されてきた。2008年2月25日、再び連行され、4月20日の朝7時50分、スイ中留置場で迫害され死亡した。夕方7時過ぎてから家族に死亡の通知が届いた。
範さんの家族が死因について尋ねると、留置場の所長は長期的な栄養不足で死亡したと嘘をついた。家族はとんでもない嘘を信じる訳にはいかない。なぜなら、4月14日、範さんの妻の母親が200元持って留置場を尋ねると、所長・王学平は、範さんは一日に2杯のご飯を食べていてとても元気だと言ったばかりであった。なぜそんなに元気な人が僅か1週間で栄養不足で死んだのか?
範さんの両家族(本人と妻の家族)は遺体を見せるように要求した。しかし、留置場は夜なら見せると言いだした。さらに留置場は遺体を解剖し、翌日火葬する、見るなら遺骨しかないと脅迫した。家族は必ず昼間に遺体を見せるようにと要求したが、実現できず、深夜に範さんの両親と兄が遺体を見に行った。3人は雨の中、大勢の留置場の人の監視のもとで、遺体置場に行った。
遺体を見た両親は戻った後、範さんは暴行を受けて殺されたと断言している。なぜなら、両腕、腹部以下膝上まで至る所が傷だらけで、特に腹部と臀部には最も大きい傷が見られた。顔の形も変形している。明らかに苦しめられ、打たれ、激しい痛みの中で死んでしまったのだ。
4月21日、雨は益々激しく降っていた。範さんの両親はもう一度火葬の前に遺体を見せるように強く要求した。午後1時20分になって、家族を火葬現場に連れて来た。現場には60〜70人ぐらいの警官と私服警官が待っていた。家族を無理やり火葬場の休憩室に入れ、私服警官が何重にも取り囲み、家族を休憩室から出られないよう防いでいた。中の一人が何か用意した内容を説明し始めた。大体の意味は、午後2時に火葬する、遺体は解剖した、異常はなかった、家族も遺体を見たといった内容であった。
家族は家族の許可のないまま火葬することに固く反対した。しかし、2時10分、遺体は予定通りに火葬された。家族は休憩室を離れることができなかった。家族は遺骨を持って帰って行った。最後まで遺体を詳しく調べることもできなかった。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2008年4月27日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/25/177163.html)
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