佛教の僧侶:神韻公演は仏陀の人間に対する慈悲である
(明慧日本)世界で多くの国に住んできたある佛教の僧侶は、4日間連続で神韻ニューヨーク芸術団のバンクーバーでの公演を5回も観た。どうして彼は5回も公演を見たのか。彼は取材を受けて神韻公演を見た中で悟った内包について話した。次は彼が取材を受けた時に述べたことである。
「この機縁をよく掴んで、毎回の公演を見るべきだと、私は信じています。この度、私ははじめて神韻に触れて、はじめてこんなに素敵な作品に出会ったのです。これらの作品は、実は俗世間で造れるものではありません。
仏陀が衆生を済度する慈悲は、彼ら若い役者により巧みに完璧に表現されました。彼らの全ての手印、足取り、全ての動作は入念にできており、柔軟で、我々の俗世間の中では本当に見ないものです。
最もレベルが高い舞踊家と音楽家でも私が言ったものが見えないと思います。神韻の音楽は非常に高レベルのもので、仏陀の世界で生まれた音楽だと思います。
特にオープニングの演目『万王が世に下る』の中で「私について人間界に下り、一緒に千年の王になろう」の声から、とても迫力を感じました。仏陀の世界から伝わってきた情報をたくさん含んでいると思います。
「仏性」はとても奥義が深い言葉で、私はずっとそれを理解しようと努力しました。しかし、毎回公演を見てその理解は毎回異なっています。私は、自分自身の認知が浅すぎると感じています。
現在の僧侶は仏教では「所知障」という思想の障害をたくさん持っています。しかし神韻公演は、彼を徹底的に悟らせたとも言えます。私は神韻の中から本当の悟りを得ました。神韻は私を済度したと、これしか言うことができません。
みんな(神韻の公演)を大切にするべきだと思います。とても貴重にするべきで、本当にとても貴重です。仏陀は世に現れました! 衆生は迷の中です!私達はみんな迷いの中に身を置いているのです!
私の中で実は多くのしこりが存在します。しかし何故か分かりませんが、神韻の公演を見てから、頭の中に「真・善・忍」が充満しています。最初どうしてこの三文字があるかととても不思議に思って、三文字をじっくり考えてみると……あ! この三文字は生命だ、生命だと分かりました!
私はこの団体(法輪功)のことを何も知りません。しかしこの団体は私を大いに助けてくれました。彼らは私の心、命全体を回転させて、思想をも全開にしてくれました。
神韻の公演は仏法だ、どの演目でも仏法だ、みんな宇宙の大法です! 全ての演目、儒教や一般の法輪功や、若しくはよく知られた伝説に関わらず、どれにもとても深い宇宙の大法が託しています。
ですから私は入念に見ないといけません。また百回みても神韻を理解することができないと思います。神韻は本当にとても深いからです。例えば役者の手の動き、毎回見ても毎回が異なっています。とても深くて、そんなに容易に理解できるわけではありません。やはり理解するのに良い方法はありません。
神韻芸術団のメンバーをたいへん羨んでいます。幼い時から仏法に触れられ、しかも本当の仏様の下で彼の教育と教化を受けられます。これは福の報いだ、本当に生まれつきの福の報いです。たくさんの世を経て修得した非常に大きな福の報いですので、私どもは彼らに及ぶことができません。
(本人の要請に応じて個人情報を削除した)
2008年5月3日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/29/177526.html)
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