■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/05/06/mh085927.html 



大法の仕事は「労働奉仕」ですか?

 文/米国の大法弟子

(明慧日本)最近明慧ネットに掲載された「7年間の資料点(※)での生活から見た私の修煉の歩み」の中で、同修は「最も明らかな表れとして、自分の家庭と事業のために心血を注ぐことはできるが、大法の仕事になると余分な代価を払っているかのようです。自分の仕事と大法の仕事ははっきり分けられています。自分の事は自分の事業として、問題があれば1分1秒も引き伸ばすことはできないが、大法の仕事になると、どのように伸ばしてもよい。自分の事、或いは自分の事業はうまずたゆまず励んで、少しもいい加減にしないのに、大法の仕事はいいかげんにしてごまかしています。自分の仕事と大法の仕事は明らかに区別しています」と書いています。

 私も気づきましたが、海外の西洋人修煉者はこの方面でよく行っています。どうしてこのような行為が大陸と海外の華人大法弟子にこんなに突出して表れるのか、私は考えました。私は大陸の邪悪な党文化の中の様々な「労働奉仕」を連想しました。たとえば「国民全体の義務植樹」、「国民全体の衛生労働」、及び大小の会社、機関の様々な「労働奉仕」。実はこれらのいわゆる「労働奉仕」と西洋の正常な社会の「ボランティア」とは、はっきり違います。西洋のボランティアは自分の理想と自分の意志に基づくもので、催促する人はいないし、求めるものはありません。中国共産党社会のような「労働奉仕」は本人の熱心さによるものではなく、勤め先が強行に割り当てて、「無償奉仕」をさせるので、時間が長くなると疲れてしまいます。「労働奉仕」は「やってもやらなくてもよく、人に任せられれば人に任せ、引き伸ばせられれば引き伸ばして、いいかげんにごまかす」のです。

 私達大法弟子が行う大法の仕事は、表面上は確かに義務的ですが、皆さんを強制する人はなく、給料を出す人もなく、しなくても皆さんを除名する人もいません。だからあのような「労働奉仕」の党文化のもとで長期に染まった大法弟子は、知らず知らずのうちに常人の「労働奉仕」の心理状態で大法の仕事に対応しがちです。自分を大法の仕事に不可欠な一員として見なして、全力を尽くして、まじめにこつこつと大法の仕事を自分の事として行わないのです。実はこのような心理状態は私心からのもので、同修の言ったように「根本的な原因は、法の上でまだ本当に何が法を正す時期の大法弟子であるかについて分かっていない、心性の上で私心があまりに大きいことに他ならないと思います」。

 実は、他の空間から私達の常人社会と大法弟子が法を実証することを見ると、私達の表面空間で見るのとちょうど相反しています。常人の中で、皆さんは自分の常人の仕事、個人の事をそんなにも真実、重要、緊急だと思うのに、大法の仕事はしてもしなくても急ぐことはなく、「内職」と「アマチュアのよう」だと思うのですが、その他の空間で見ると、正反対です。皆さんの常人の仕事、個人の事は大法弟子が法を実証することに協力するために存在しているもので、常人社会での生存状態を維持し、それによってもっと良く大法を実証して、世間の人を救うためなのです。大法の仕事は皆さんにとって最も重要で最も緊急な「主な仕事」であり、必ずよく完成させなければなりません。それは皆さんがおりてきた時の大きな願望であり、先史に承諾して行わなければならないことです。もし皆さんがよく行わなければ、皆さんに無限の望みを託した衆生に対してどのように申し訳が立つのですか? どのように自分が千万年の苦をなめ、輪廻して待っていたこの法を正す一瞬に申し訳が立つのですか?

 多くの修煉者は現地の資料点、明慧ネットをすべて引き受けた「ボランティア」、「勤め先」と見て、何かがあったら、すべてそれを探して、自分に責任があり、ぶつかったすべての技術の問題、修煉の問題、協調の問題、甚だしきに至っては個人の問題を解決する義務があると思います。深刻な依存心、頼る心があり、まず自分で真剣に法を学び、内に向かって探し、方法を考えて、これらの自分の問題を解決しないのですが、実は法を学び、「待たず頼らず」行うことこそ問題を解決する根本の方法です。

 すべてを「上級」に頼って、仕事を「勤め先」に押しつける心理状態は、党文化の一種の表れではありませんか? 大陸では邪党の統治のもとで、人民は厳密に制御され、衣・食・住・交通、冠婚葬祭、教育、仕事、戸籍、食糧を含む、すべてを勤め先、上級に頼らなければなりません。人々のすべての生活資源と生存条件は皆邪党に制御されており、長期にわたりこのような状態におかれる中国人はこのような心理状態を身につけさせられました。実際は、このような「全面請負制」で人を制御して、反対に人々が至る所で「勤め先」に依存する現象は西洋の正常な社会では探し出せないのです。だから大陸から初めて西洋にきた中国人はとても適応できません。西洋の社会は「不思議」だと感じ、みんなが自分を理解できないと感じます。実は西洋人から見ると、大陸人のような生活様式は本当に不思議なことです。大法弟子として、法を学ぶのは最も根本的なことで、私達は問題がある時、まず心を静めて法を学ぶ良い習慣を作る必要があります。

 個人の体得で、不適当な所があれば、同修の慈悲のご叱正をお願いします。

 2008年5月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/4/28/177393.html

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