同修たちに「発正念時の定刻アラームの音」を正しく使用するように注意を促したい
文/豪州大法弟子
(明慧日本)3月19日の明慧ネットに「発正念の時の定刻アラーム」の文章が発表された後、私は直ちにずっと使っていた大法の音楽『普度』のメロディを新しいメロディに変えました。実は、前から私は発正念時の音楽に関する交流文を沢山読んでいました。しかし、たいしたことはないと思い、それほど注意しなかったのです。しかし同修の今回の文書を読んで突然目が覚めました。私は法を得て2年経たない新しい弟子です。初めから発正念の時、ずっと『普度』のメロディを使っていました。したがって台湾から購入したMP3が使っていたのは同じこの音楽であり、問題はないと思い考えたこともありませんでした。
しかし、2003年の『音楽創作会での説法』の中で、『普度』と『済世』のメロディを自分の創作した作品に使ってよろしいですかという弟子の質問に対して、師父は「『普度』『済世』についてですが、この二つの音楽がどういう内涵を表現しているのかを知っていなければなりません。宇宙を卵に入れてはいけません」。「『普度』を自分の作品に入れることをしてはいけないということではありませんが、肝心なのは、皆さんが『普度』の内涵を本当に理解できていないことです。それは紀元前から法を正すまでの師父の全過程であり、いかなる協奏曲もそれを納めることができません」と言われました。
『普度』、『済世』にそんなに深い内包があるなら、発正念の時に修煉者たちがアラームの音として使うのはちょっとあまり厳粛ではないように思われます。
ある時のことを思い出しました。私が同修と車を運転している時、『普度』のメロディを流したら、同修は「まるで発正念の時刻になったかと思った」と話したことを覚えています。このことからも分かると思いますが、勝手に大法の音楽を使うと、その内包に別の意味をいれこんでしまう恐れがあります。『普度』の本来の音楽の前奏には発正念の内包がないはずです。我々が勝手に使って「発正念の時刻になった」と思っているだけです。
「発正念の定刻アラームに関して」の文章が発表されてから、ある同修からは、これはあくまでも個人レベルの認識と悟りだと言い、明慧ネットで声明文が出ていないので、変えなくてもいいと言っていますし、またある同修は長年使っていて慣れているので、変える必要はないと言っていますが、私は『転法輪』の中の第四講に書かれている「しかし、取るに足らないものは古代から存在しており、長年伝承してきたからといって、必ずしも正しいものとは限りません」を思い出しました。ですから、長年使ってきたからと言って、決して正しいとは限りません。私が思うには、法輪大法ネットから発正念の音楽をダウンロードするように提供していますので、やはり『普度』のメロディを変えたほうが良いと思います。我々が大法音楽のオリジナリティと元の純度をそのままに守るのも我々の大法弟子の一人一人の責任でもあります。
ダウンロードサイト: http://media1.minghui.org/media/dafa/music/48k/fzn15.zip
あるいはhttp://www.falundafa.org/chigb/qita.htm からダウンロードできます。
2008年5月7日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/5/5/177866.html)
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