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旧勢力は一体何を按排したのか


 文/黒龍江省大法弟子 彩蓮

(明慧日本) 師父は経文《考えをはっきりせよ》の中でこのようにおっしゃいました。「学習者として師父の要求に従って行っていないなら、これは小さい問題ではないはずです。旧勢力はすべての大法弟子に対してそれらのものを按配しました。もし大法弟子が師父の要求に従って行なっていなければ、きっと旧勢力の按配に従って行ってしまったことになります。旧勢力は実質上、法を正す中で大法弟子が出てこられるかどうかに対して、いつも皆さんのそばにある巨大な関と難です。」

 私の知り合った若い同修ですが、長年彼女の夫は浮気していて、彼女に辛い思いをさせています。しかし、彼女は消極的に我慢していて、その関をどう乗り越えるか分かっていないのです。彼女と交流する時に、実はそれは旧勢力が彼女の夫を利用し、彼女が衆生を救い済度することを妨害すると同時に彼女の夫も壊滅しようとするのだと私が言ったら、彼女は戸惑ってしまい、「旧勢力はなぜそんなに悪いのだろうか、それらは一体何をしようとするのだろう」と言いました。

 同修と交流する時に、このようなケースをよく目にしました。例えば、自分が魔難の中に陥っていながら、それは旧勢力の妨害だと言うことをまったく意識していない同修もいれば、旧勢力の按排した道を歩んでいるとはっきりと知っていながら、どう抜け出すか分からなくて、魔難の中でもがいている同修もいます。それから、安逸を貪り、衆生を救い済度すると言う使命を忘れてしまい、それも旧勢力の一種の按排だと言うことを意識していない同修もいます。

 また旧勢力の按排を否定しようとする同修もいます。しかし、それは口先で言うだけで済むようなことではありません。それはちょうど自分は旧勢力の船に乗っていながら、口先で「旧勢力の船に絶対乗らない」と言っても意味が無いことと同じです。いつかそれを意識し、旧勢力の船から下りて初めてそれらの制御から抜け出し、再び師父の法船に乗ることが出来るのです。

 大法弟子は根本的な執着や個人修煉と法を正す修煉の関係、師父の按排してくださる道を正しく歩むなどの問題をはっきりと理知的に法を正す基点に立って認識できないと、三つのことをずっとやっていたとしても、自分が危険な境地に陥り、その上全体にも損失をもたらす可能性があるのです。

 それでは、旧勢力は一体何を按排したのでしょうか。ここで自分の次元での認識を述べさせていただきたく思っております。共に向上でき、少しでもご参考になればありがたく思っております。そして、正しくないところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 師父は《精進要旨二》<最後の執着を取り除こう>の中ではっきりと教えてくださいました。「学習者自身の業力、法への認識の欠如、難の中で放棄できない執着、関門に遭遇してつらい思いをする時に正念をもって対処できないなどなどのことは、邪悪な勢力に迫害を加えられたことが主な原因であり、邪悪な勢力が大法を破壊する根本的な口実でもある」

 旧勢力が行う大法弟子への妨害や迫害もこれらの方面から手を下していると思います。

 旧勢力は大法弟子を残酷に迫害する時、八方手を尽くしています。例えば、衆生を救い済度するために前史で師父と誓約を結んだ大法弟子を不法に拘禁し、酷刑で苦しめ、更に臓器摘出まで行うなど、大法弟子の正念の一面を隔て、まだ修めて除去されていない執着や人心の隙につけ込み、高圧的に対応し、「反省書」を書かせ、大法弟子の正しい信念と意志を崩そうとしています。大法弟子が昔彼らに騙されて結んだ約束を口実に、何人か先に肉体を失わせるとか、大法弟子を厳重な病業の状態に陥れ、それを目にした回りの大法弟子が更に修めていくかどうか試そうとするなど、そしてスパイを按排し、大法弟子の内部における破壊作用を生じさせ、大法弟子に試煉を与え、真に修めていない人を淘汰しようとするように按排しています。

 また旧勢力は邪霊悪党を操って一億を上る人の正信を鎮圧させ、「天安門焼身自殺事件」や臓器摘出などの事件を作り、かつて無い最も悪毒で、愚かで邪悪な迫害で師父の法を正すことを妨害し、大法弟子を迫害するように按排し、天、地、人と戦うような党文化を作り出すようにしています。

 旧勢力は各種の人心、観念、執着に身を隠しているためとても見つけにくく、邪悪で時には偽善の面目で現れ、大法弟子の修煉の道程にたくさんの巨大な難関や至難の関を設けました。法を師にして初めてそれらを見抜くことが出来、利己心や自分を守るという人心を放下して、初めて嘘偽り無く旧勢力の按排や旧宇宙の理を抜け出ることが出来るのです。

 一、旧勢力は大法弟子の一つの思いや一つのひらめきを按排した

 師父は《米国フロリダ州での説法》の中で「法を正すことも前回の地球の時に既に按配され、一回実験されました。つまり、このことはこれほど久しい年月を経て、全て系統的に按配されています。皆さん考えてみてください。人類社会やわたし達が目にすることのできるこの全ては偶然に存在している可能性があるのでしょうか? ひいては全ての大法弟子の一挙一動、一言一行、あなたが考えている事までただで済むことではありません。将来これらを見れば、全ては相当綿密に按配されていると分かります。わたしが按配したのではなく、それらの旧勢力が按配したのです」とおっしゃいました。

 旧勢力の按排したことは確実に我々の修煉環境に反映されています。心を落ち着けて観察してみると、それらは影のように私たちに付いていて、暗い隅っこに身を隠し、具体的に存在していながら、とても見つかりにくく、それらのやろうとすることをやっています。だから、旧勢力を否定するために、随時自分の一つの思いや一つのひらめきを修め、それは常人社会で生活するために師父が残してくださる考えであるか、それとも人を救い済度するのを妨害する観念や人心であるかをはっきりと見分けなければならず、それらは観念や人心であれば、排斥し、否定し、取り除くようにしなければなりません。正念で自分を支配して始めて、旧勢力の按排から抜け出すことが出来るのです。

 二、大法弟子の法に対する認識の欠如を利用して迫害する

 我々が越えられそうも無い巨大な難関に遭った時、それは大体旧勢力が我々の根本的な問題に目を向けて手を入れていると思います。上記で述べた同修は美しい人生や愛情への憧れという根本的な執着を持っているため、旧勢力の按排した迫害をはっきり認識できず、夫に傷つけられ、辛い思いをさせられたことや自分の闘争心がなかなか取り除かれないと思うため泣いたり悩んだりしています。しかし、その「泣く」ことや「悩む」こと自体も旧勢力の按排で、それによって修煉者の意志を叩き潰そうとすることまで悟っていないのです。だから、人心や執着を放下するかぎり、旧勢力の按排を打ち破り、確実に修めることができるのです。

 大法修煉は昔のいかなる修煉とも違って、この誘惑に満ちた現実社会で修め、大道無形の道を歩むことによって、更に広範囲に社会と接触し、あらゆる衆生を救い済度することが出来るという法理を師父が教えてくださいました。もし個人の円満成就を求めると言う私心を持っていれば、ちょうど旧宇宙の「私(し)の為に」と言う特性に符合し、それも旧勢力が迫害する口実にもなるのです。それらの病業の現れ、男女関係で間違いを犯したこと、よく極端に走ること、大法弟子が真相を伝えるために出し合ったお金を無駄遣いすることは皆旧勢力が迫害する口実になり、こんな人を邪悪な魔窟へ強制連行させ、残酷に迫害し、更に命まで奪い、修煉の機縁を失わせると同時に、法を正すことにも極めて険悪な情勢を作り、衆生を淘汰しようとするのです。

 三、大法弟子自身の業力を利用する

 私はこんな夢を見たことがあります。古代の或る時、私は水商売をする女性であり、たくさんの悪事を働き、他人にずいぶん辛い思いをさせました。族長はもともと私を死刑に処しようと思いましたが、私が妊娠しているため、免れたのです。今私の頭に浮かんできた思想業の妨害は旧勢力がその隙につけ込んでやったのであり、それも厳重に今の私の修煉状態を妨害したのです。だから、大法弟子の正念を妨害するこのような邪悪な按排を徹底的に否定しなければなりません。と言うのは大法弟子への迫害はつまり大法への迫害であり、歴史上いくら大きな間違いや罪を犯したとしても、大法弟子は皆法を正す修煉の中でそれらのものを正に戻すことが出来るのです。そのため、旧勢力の現れ、それらの作り上げた魔難の表現を取り消すこと自体、それらの瀕死のもがきを表現しているといえ、このすべては皆認めるわけにはいきません。

 四、大法弟子の執着や恐れる心を利用する

 地元にはこんな同修がいますが、彼女は息子への愛情がとても深く、息子の不幸を恐れる心もとても大きいのです。彼女の息子はよその空間の邪悪に制御され、ビルから飛び降りて、粉砕骨折した上に、精神錯乱になってしまいました。すると、その同修はすべての精力を全部息子に使い、自分も気が狂いそうでした。邪悪が彼女の息子を制御し、「お前はもうだめだ」と叫んでいました。邪悪のこのような按排はその同修が三つの事を行うことを妨害すると同時に、彼女の息子もだめにしようとします。これも正に旧勢力の「一石二鳥」と言う険悪な目的なのです。

 三つの事を行うのを妨害するのは、皆修煉中の最大な障害だと言う同修がいますが、確かに修煉は最後の最後に入り、我々は皆百パーセント法の要求に基づいて行ったのか、全力を挙げて三つの事を行ったのかをよく冷静に考えなければならないと思います。衆生を救い済度することを妨害するすべての観念や執着を除去しなければならず、自分を緩めることは衆生に対する無責任な行為であり、それも邪悪が迫害する口実になるのです。

 以上の現れは識別しやすいですが、また識別しにくい魔難もあります。

 或る同修は孫の面倒を見ています。孫は根基がとても良くて、二歳ごろに大法の書籍を手にすると、好きで手を離そうとせず、その同修は法を学ぶ時、よく口から出る法輪を孫は手で掴もうとします。しかし、その同修は孫に妨害されて精進できなくなりました。毎朝六時になろうとするとき、孫は目が覚めてしまい、そのため、その同修は正念を発することが出来なくなりました。日ごろも法を学ぶ時間がとても少なく、三つのことも疎かになりました。しかし、その同修はこれで目を覚ますことなく、常人状態に符合するのを口実に消沈しています。

 しかし、旧勢力はこれで手を休めることなく、その同修が認識できない限り、更に魔難を大きくしています。後は子供もお嫁さんも自宅を売って、彼女と一緒に住むことになり、そのため、その同修は更に法を学び、真相を伝える時間がなくなったのです。

 それは旧勢力に按排された役割ですが、残念ながら、その同修は見極めることが出来なく、真剣にその役割を務めています。しかし、それらの目的は「一家団欒の楽しみ」の中で大法弟子をだめにしようとするのではありませんか。

 旧勢力がいくら手管を使っても、いくらきめ細かく按排しても、その目的はただ衆生を壊滅するほかにありません。法を正す中では衆生を救い済度することはもう遥かに個人修煉を越えています。この問題を我々ははっきりと認識しなければなりません。このすべての按排を師父は認めていらっしゃらないのです。「私は李洪志の弟子であり、他の按配は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」(《2003年旧正月十五日米国西部法会での説法》)だから、我々は師父の按排してくださる道しか歩まない、三つの事を行うこと以外のいかなるものも要らないという考えを固め、実際の行動で旧勢力のすべての按排を否定するようにしなければなりません。

 修煉中どんな問題に遭っても、具体的な矛盾に陥ることなく、表面上の虚像を捨て、心を静め、高い次元で法を正す修煉という角度から判断すれば、直ぐ旧勢力の目的を見極めることが出来ると思います。旧勢力の「知恵」はそれほどレベルが高くありません。それらはただ大法弟子の「漏れ」を掴んだだけで、大法の法理に基づいて考えれば、直ぐそれらのしようとすることを識別でき、また法を正す基点に立ち、自分の執着を探し、取り除くようにすれば、それらの按排を簡単に否定することが出来ると思います。

 最後になればなるほど大法弟子への試煉もますます厳しくなります。如何にして、理性的に修煉上に現れたさまざまな妨害や迫害に対処し、常に神の念で旧勢力のすべての按排を否定するのかは修煉者が直面しなければならない試煉だと思います。同修の皆さん、このかつて無い機縁を大事にし、ますます成熟し、意志を固め、旧勢力の按排を全面的に否定する中で偉大な円満成就に向って行きましょう。

 2008年5月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/4/28/177375.html