7年間の資料点での生活から見た私の修煉の歩み(二の下)
(明慧日本)
我々はいつになったら「自我」を放下して人間から抜け出られるのか
同修を手伝って家庭資料点を作る時に、一部の同修は実はさまざま形で人心を利用されました。それは大型資料点の存在です。
去年の10月ごろ、各地で資料点を担当して、皆の先頭を走っていた同修が次々と邪悪に攻撃され、まるで周辺のいくつかの地区は一斉にキャンプ地に火がついたような状態になりました。迫害されたのは資料点を担当していた同修でした。その中には私と直接連絡を取っていた人もいるし、かつて会った同修もいます。ある人は迫害に遭ったのは初めてではなく、何回もそういう目に遭っていました。
小規模な資料点があちこちにほしいという要求がネットに出てから4年にもなっていました。しかし、よく考えると、周辺地区では、我々の地域を含めて、実は本当に独自に運営して役割を果たせたのはほんの僅かしかなかったのです。例えば、ある日私が出かけてそこの地区の協調人と小規模な資料点の話をした時、彼はこう話しました。
「この地域で私が把握しているだけでも100ぐらいの家庭資料点があります。しかし、本当に機能を果たしているのは10ぐらいしかありません」。なぜこういうことになったかと言えば、この地域で放浪生活をしていた協調人が連行されたばかりだったからです。私と話した彼は1昨年の正月2日、私が彼のところに行って神韻祝賀際の基になるCDを作成した時、ちょうど拠点でCDを書き込んでいました。彼は大晦日からずっと書き込んでいて数千枚が出来上がっていました。目の前に2台のCD書き込み機を置いていました。しかし、この同修も数日前(2007年10月頃)に連行されました。彼も放浪生活をしていた同修の1人でした。この地域(地元)で100ぐらいの家庭資料点があるにも関わらず、なぜ他の資料点の同修は相変わらず忙しく間に合わないのでしょうか?
実は最も重要な原因は家庭資料点の同修は積極的ではなく、何かを待っていて、すなわち他人に頼っているからです。実はこの同修は新年の休みを利用して静かに集中して法を学習するつもりでした。しかし、家庭資料点の同修はみんな新年の準備で忙しくなり、誰もがCDを書き込もうとはしなくなりました。本来ならば、正月は真相を伝えるのにとてもよい時期とチャンスであり、人を救うチャンスをこうして逃したくないので、彼は家庭の資料点にあったCD書き込み機をここに持ってきたのです(編集者の話:中国本土の同修は、現在海外でも中国本土のためにCDを作成する人手はなかなか見つからず、みんな忙しく、法を学ぶことについても質と時間を保障できなくなっているのだとは絶対思わないのです。困難はどこにでも存在しています。中国本土の大法弟子たちの主体の困難はもちろんあります。これは旧勢力の仕業ですが、やはりまだ沢山の同修たちは出て来ず、真相を伝えるために人の中から出て来ないのが主な原因です)。
正月や祭りがもたらす話題についての言及
我々資料点を担当する同修たちには正月や祭りの概念はありません。いつが正月、何時が祭りだなどと、考えたこともないのです。忙しい時には何時がお昼で、何時が夜かも分かりません。私の場合、気が付いたらこの8年があっという間に過ぎていました。まるですべては昨日起こった出来事のようです。心の中は法を実証するということだけでしたこの一つのことを考えるだけで1年が過ぎてしまい、自分のことを考える時間は全くないのです。人に聞かれなければ自分の年齢さえ忘れてしまい、気が付いたら自分も結構老いたかなと思うのです。自分でも信じられませんが、なぜ時間の経過がこんなに早いのでしょうか? 自分がきちんと修煉ができている時、時間がもっと早いと感じるのです。その時こそ時間が足りないと感じるのです。その時、何がまだできていないかだけを先に考えるのです。自分が次から次へやり遂げた仕事だけが時間の経過を証明しています。まるで遥か昔に文字の替わりに縄を結んで物事を記録したように簡単です。
自宅で資料点をやっている同修は真相資料が間に合っていると感じるため資料のソースをあまり考えなくなります。資料はどこから来るとかは資料点のやるべきことで私と関係ないと考えているのです。したがって、家庭資料点の同修たちは何か起こったら停まってしまいます。自分は支度中と言いながら、1カ月か2カ月が過ぎてしまいます。いわゆる支度中というのは、すべての問題を他人に任せてしまうか大資料点に丸投げをしてしまうことです。いつ終わるかは急がないで、心もずっとほっとしているのです。誰かが問題を解決するだろう、あまり「執着」しなくてもよいという感じなので、そのため、大資料点の同修が大変になってしまいます。
1昨年の後半に1人の地元ではない協調人が連行されました。私が言っている協調人は実は調整の仕事と技術の仕事を同時にやっていました。彼が連行されてから、彼の地元の同修は引っ越しをする時30台のプリンターを全部私に送ってきました。目的は私に修理させるためです。なぜなら彼は同時に技術も担当していたからです。では何故こんなにたくさんのプリンターが彼の手元にあったかというと、家庭資料点の同修はみな問題になったプリンターを全部彼のところに送り、修理を彼に任せていました。問題はみんな何かがあれば他人に任せてしまい、自分が責任を負わないのです。
この同修が捕えられると別の同修が代わりをしなければなりません。私も忙しいので長期にわたって彼らを手伝うことはできません。そのため地元の同修が出てきて問題を解決しました。代わりに来たこの同修の一言で問題が解決したのです。それは「私はプリンターを修理できないので、今後は家庭資料点で、もし誰かのプリンターが故障したらその人が自分で解決するしかない」という一言で問題が解決しました。それから故障するプリンターの数も凄く減って、問題があっても皆が自分で解決するようになりました。このことから、「人心」の変化が分かります。すなわち、かつては何が起こっても全部大資料点に任せるという他人に頼る心でした。
実はこの心が柱となる大資料点の同修たちの迫害を促してしまうのです。もちろん我々は旧勢力が計画した迫害を全面的に否定しますが、しかし我々はなぜこの「私心」をいつも同修が迫害に遭ってから無くすのでしょうか? この協調人の同修も2004年に邪悪に連行されてしまいました。
同修の多くの人は『明慧週刊』で発表された修煉の体験の中でこの問題に触れています。なぜ前の同修が倒れなければ後ろの同修は立ち上がらないのでしょうか? なぜ迫害が起こってから目覚めるのでしょうか? なぜ同修が大勢迫害に遭わなければ自主的に立ち上がらないのでしょうか? この状態がここ数年ずっと続いていました。2007年後半に、明慧で報道されている我々の周辺で起きた迫害事例の主人公はこうして1回倒れて再び立ち上がった同修が多いのです。彼らの置かれている修煉の状態と内心の状態は誰もその場にいなかった同修にとっては想像できません。自分が迫害されている時に邪悪に直面しながらも、法を正す時期の大法弟子の責任を果たさなければならないし、それを考えなければなりません。同時に心の中では資料点のこと、他の同修のことを心配するのです。自分が邪悪に連行されたことによって他の人に被害が及んでいるかどうか、師父の経文がちゃんと伝わっているかどうかを常に心配するのです。これは彼らが既に修煉で得た、身に付いた習慣にもなっていました。
そうしなければ彼らは迫害されてすぐ立ち上がり、師父の法を正す勢いに追い付けないのです。この数年私は沢山のこういう修煉の前方を走っている同修と出会いました。彼らは大資料点の同修、もしくは技術役の同修であり、もしくは協調人の同修です。いつも会っている顔が多いのです。多くの地区では同じく先に出てきて法を正すために頑張っている同修がこうして法を正す前線で頑張って、倒れると再び立ち上がり、邪悪を恐れず真相を伝えています。本当に容易なことではありません。神からみても偉く見えているはずです。神が見ても感動して涙を惜しまないと思います。それなのに、我々同修は今なぜこんなに麻痺しているのでしょうか?
大法弟子が法を正す修煉は確かに難しいのです。しかし、偉大な師父はもっと難しいのです。我々は佛の恩恵で満たされています。このことは実際に法を正すために努力しているだけによく分かり、体験できます。如何に体験できても実はこれも体験できたのは一部の内容に過ぎません。佛の慈悲は実際に修煉した人だけが感じることができます。本当に佛恩を強く感じたときに自分に慈悲の心が生まれ、神の念を持つようになります。
我々は難しく見えますが、いくら難しくても師父のように難しくはないはずです。師父は我々のためにすべてを惜しまないほどに尽くしておられます。しかし、師父は我々を済度することを難しいと言っておられません。比較して、我々は衆生を済度するために、何をやったのでしょうか? それでも非常に難しいと感じています。ある時は前へ一歩進むにも大変苦労をするのです。なぜなら、我々は自分の利益を少しも失いたくないからです。いつになったら我々はもらう状態からあげられる状態に入れるのでしょうか?
前を走っている同修が邪悪の迫害に遭った時、邪悪は片方の足を彼の上に乗せています。しかし、大勢の同修は彼に対して「その人は仕事だけを注視する人だよ」という一言で彼の今までの業績を全部否定してしまうのです。週刊のある報道では1人の同修が自分の地域のことを書いたことがあります。ある日、記事を書いたこの同修が他の同修の家で協調人の同修と会いました。その協調人は同修の家で新唐人の番組を見るために、衛星受信アンテナを設置していました。記事を書いた同修は衛星受信アンテナのセットアップをしている同修に向って「あなたは今日、法を学習しましたか?」と聞き、その協調人の同修は笑顔で僕は今日まだ法を学習していませんと答えました。作者の同修は自分の文章で技術役の同修についてこう書きました。「法を学習していないのに、まだ笑顔で読んでいないと答えるのです。仕事をやる心が大き過ぎます」と書いたのです(2006年のこと)。しかし、もし作者の同修が本当に偉いなら、こういうべきです。「あなたは法の学習に行きなさい、この仕事を私に任せて!」。これこそが偉いのであって、この一言で相手は涙をこぼすかもしれません。
しかし残念ながらこのようにできる同修は本当に少ないのです。修煉の基準で見るとこれは当たり前のことです。修煉は常に他人のことを先に考えるのですから。7年間幸いに私はこうできる同修と会いました。彼女は自ら我々資料点の同修を手伝い何かをやりたいと言って来たのです。彼女の積極的な行為と善の心が彼女を協調人に付けました。残念ながら彼女も後にまた連行され迫害されました。彼女は連行される前に何回も同修に手伝ってほしいと頼んだことがあります。本当に忙しくてきちんと法を学習する時間もなく、仕事量も多すぎて、家庭状況も良くありませんでした。残念ながら彼女が捕えられるまで誰も手伝おうとはしなかったのです。しかし、彼女が連行された後、次々と手伝う人が出てきました。なぜ迫害される前に手伝おうとしないのでしょうか? なぜいつも連行され迫害が起きてから手伝うことを思い出すのでしょうか! この数年こうしたことがずっと繰り返しされてきました。しかし、彼女が連行された後、他の同修は彼女の欠点を言うようになりました。普段言葉が少ない人も彼女の足りないところを指摘するようになり、ある人はさらに非常に憎みました。このように、大資料点の同修は邪悪からだけではなく、他の同修からの圧力、偏見をも受けていたのです。
最も理解できないことは、技術役を担っていた同修は普段はほかの同修たちのためにとても頑張っていて、同修たちの要望に応じていろいろ調整のことや技術の問題を解決してあげていたので、誰もが彼を「素晴らしい!」と言っていました。しかし、忙しいから法を学習する時間と自分が修煉する時間はもちろん不十分です。それでも、皆が彼の修煉状態はよいと言い続けていました。ある日、少しの不注意で邪悪に連行されたのです。それを受けて、かつて「彼は素晴らしい」と言っていた人たちは、今度は彼の「問題点」を次々と「暴露」し、彼を責めるようになったのです。「彼は普段は仕事ばかりをしていて、法を学習しない」、「彼はいつも仕事を重視して、修煉を重視しない」などと、あれこれ取りざたして、口々に言うようになりました。実はこのやり方はとてもずるい悪いやり方であり、これこそ邪悪な中共の党文化のやり方なのです。
使うときは、如何にも偉いと言いながら人を使い、使い終わるとゴミのように捨てる党文化の価値観そのものです。連行された同修はほかの人の修煉のために自分の貴重な修煉時間を全部出し尽くしたのに、邪悪に迫害されると同情はなく、逆に攻めるやり方は修煉者にあってはならない党文化の最悪の習性です。これが2007年末に中国本土の沿岸地区で一部の同修が連行された後の、周りの同修のその当時の態度です。私はこの目と耳で確かめました。こういう同修の数は決して少なくありません。なぜこの地区は迫害が大きいのでしょうか? なぜここの同修はお互いに協力できず、砂粒みたいにばらばらなのでしょうか? もし、皆がお互いに協力し合い、理解し合えば絶対この地区は花崗岩のように固くなり、邪悪が迫害したいと狙っても絶対失敗に終わるはずです。
これを書くと大法弟子のイメージに悪いインパクトを与えてしまうかもしれないのですが、書かなければ私自身も納得できません。迫害されている同修はあまりにも不平等です。この数年こうした現象に皆は慣れていました。どこかに問題が起きると、皆まるで一気に先頭を走っている「リーダー」、普段最も努力している人々の責任を問うのです。これはとてもはっきり見える傾向です。これは全体的にうまくいっておらず、全体的に問題を抱えている証拠です。これは単なる執着心の問題ではなく、本質的な問題です。もし、人の本質が変わらなければすべての表現は嘘になってしまいます。もし、一つの地域で皆が全で一つの力になれなかったら、どうして法の力を発揮できるのでしょうか? これは一人一人の同修の心性の基盤にかかわる問題です。心で常に他人のことを心配し、他人のために考える心があれば、こういう問題は起こらないでしょう。もし、何時も過ちは人のものであり、成功は自分のものになるなら、それこそ中共の「偉光正」(自分が最も偉い、光栄で正しいという見方)でしょう。
異なる次元が見える同修には、邪悪は資料点に集まるように見えるのでしょうか? 私もこの問題を考えたことがあります。一つの原因は資料点で一生懸命に頑張っている同修を地域全体が正念で支えていないからです。もし、地域全体がまとまった一つの力になっていれば、邪悪は何もできないはずです。普段、同修たちの言論と態度からいろいろなことが分かります。問題が起きると誰も資料点の同修のせいだというのです。資料が間に合わなければもちろん資料点の同修のせいだと言います。資料点の同修が迫害に遭うと、もちろん自業自得だと言います。実は彼らには自分のために法を学習し、煉功する時間はなく、みんなのために時間を全部使っているから問題が起きているのです。
ある同修は交流会でこう言っています。「旧勢力があなたを忙しくして法を学習する時間を奪っているのです。師父があなたを忙しいようにしたわけではない」。では、こう言っている同修に聞きたいのです。「資料点の同修が様々な仕事に追われて、他の同修の修煉環境を整えるために忙しい時、あなたは何をしていましたか? 我々はその時何を考えていましたか? 旧勢力が彼らに忙しい仕事を用意して法を学習できないようにしたとすれば、旧勢力はこの話をしているあなたを含めた我々に何を用意したでしょうか? 我々はその上に資料点の同修に何を用意したのでしょうか? 我々は何もせずにただ傍観したのでしょう? 資料点の同修は師父の言われる第三種類の業力が大きく、苦しむだけの人でしょうか?」と。 私は資料点の同修の1人として、他の同修が寄せる不平等な、正常ではない心の動きを強く感じています。資料点の同修はほかの人、他の同修の理解を得るために修煉しているわけではありませんが、これは全体としての大法弟子の機能が働いているかどうかに繋がり、迫害を最小限にするには皆が一つになって全体の力を発揮するべきです。私は何のために修煉しており、自分がどんな道を歩んでいるかをよく分かっており、自分の選択が何かをよく分かっています。
資料点、技術役の仕事に追われている同修たちにとって、最も「殺傷力」(傷つける)のある言葉は「その人は仕事が好きだ」という言葉です。「その人は仕事が好きだ」という言葉は大勢の同修たちより先を走っている同修にとっては人を攻撃する棒になっています。一つ打つだけで、前で頑張っている同修たちを動けないように傷つけてしまい、あるいは皆の対立面に押し出してしまうのです。仕事をすると、「あの人は仕事が好きね」になってしまい、仕事をしないと、「あの人は責任感がないね」になってしまうのです。小資料点の同修もこうした言葉の被害を受けています。実はここでの「その人は仕事が好き」という言葉は師父が言われる「仕事が好き」とは違います。ここで言っている「その人は仕事が好き」という言葉は、実は人を打撃し、自分を守るものであり、彼らの言っている人たちが修煉に積極的ではなく、邪悪を恐れている心の表れであり、自分だけを守る私心です。彼らはすべてのことを「その人は仕事が好き」という言葉で全部否定しており、その実は自分が法を正す修煉を恐れているのです。
某家庭資料点の同修が他の家庭資料点の同修が捕えられた時に言った言葉もやはり「その人は仕事が好きだから」でした。彼は仕事が好きではないから、彼が責任を持っている地区では資料が何時も足りないし、追い付けない状態が続いています。週刊を2週間に1回か3週間に1回と勝手に決めて送っています。地元の小冊子が印刷され、配布されているのに彼は知りません。自分が資料をやりたくないし、機械をほかの同修の家に持って行って他の同修にやらせているのです。法を正すために、出て来たばかりの同修にさえやらせるのです。彼は自分が資料点の仕事に向いていないとかいろいろな理由を言っています。資料がなく、困る時は他の同修から資料を求めていました。彼に資料を用意した同修を彼は又「その人は仕事が好きだから」と言うのです。
師父が『音楽と美術創作会での法を説く』で、写実派が印象派に排除された時のことを話された通りです。印象派が写実派に投げる一言は「あなたがいかなるいい作品を作っても写真には追い付かないでしょう」なのです。この一言で写実派を否定しようとしました。その実、本当の写実派の画家は自分のすべての力を画の作成に使ってしまい、印象派と弁論する言葉が見つからないかもしれないのです。印象派の画家はすべての智慧を画を描くためにではなく、人を攻撃するために使いました。我々大法弟子の全体でもこうしたことが起こっています。
「その人は仕事が好き」という現象にしても、もし、皆が同じ努力を払えば、彼らは仕事が好きだとしても、毎日仕事に追われるほどの仕事は出て来ないはずです。もし、家庭資料点があちこちに現れて、一つ一つしっかりと力と機能を発揮できれば、大資料点で働く同修者たちは助かるはずです。今も多くの小資料点はまだ相変わらず大資料点に頼っており、形だけが変わりました。たとえば、すべての技術、消耗品等々はやはり大資料点に頼っています。だから、小資料点が増えるほど大資料点が忙しくなるのです。問題はこの小資料点がいまだに独自に働かないからで、自分ができることも大資料点に任せるからなのです。表面だけの資料点も沢山存在しています。1年で1箱分のコピーもできない拠点もあります。その中には威徳を得るためにやっている人もいます。自分が資料点をやれば、自分の威徳が増えるという私心でやっている人も大勢いるのです。そういう資料点が増えると逆に大資料点の負担が増え、逆に邪魔になるのです。自分でお金を出さないし、積極的に仕事をやらないし、形だけを作るのです。
もちろん、「仕事が好き」と言われている同修にも問題はあります。たとえば、吉林の同修の言うような協調人が、ほかの人にやらせないなどの問題はありますが、多くの「その人は仕事が好き」と言われている同修者たちの仕事は、ほかの大勢の同修が何もやらないから出てきた仕事です。何かを待っていて、積極的にやらないからできた仕事です。技術の面と資料の両面から他の人に頼るからできた仕事です。次に具体的に挙げたいと思います。
(続く)
(資料点):中国共産党の法輪功への弾圧が激しくなる中で、各地の法輪功修煉者によって自発的に設立され、真相資料などを作製する拠点のこと。
2008年5月9日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/25/177106.html)
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