最後になるほど、人心の膨らみに警戒しなければならない
(明慧日本)私のいる地区は全面的に真相を伝えるのがほかの地区より遅く、今となって、個人の資料点がやっと独立し、安定して作動できるようになりました。しかし、成熟するにつれて、一部の同修は知らず知らずの内に、人心が大きくなっていることが見え、しかもこの種の人心は気づきにくいものです。
これまでに、資料の配布を待っていた同修たちはみな資料点を運営し、いろんな機器の故障も一人で修理できるようになり、心性においても、技術の知識においても、かなり成長しました。さらに、長い間、真相資料を配布してきた同修たちは、さまざまな危険をも顧みず、協調する中で、独自の修煉の道を歩めるようになりました。同修たちは、法の自分に対する要求にしたがって行い、同修の間に現れてくる問題もますます解決しやすくなりました。
以上あげた現象の数々は、本来ならばすでに成熟したよい結果だといえます。しかし、これらの成熟の現象は、人心の正しくない作用の結果により、自慢の心、怠惰の心、自分はほかの人よりよくできているなどの心が芽生え始めました。私も、自分の法理に対する理解が深くなり、内に向かって探すようになり、他人を見なくなり、修煉ができるようになったとうれしくなると同時に、もはや着実に自分の不足を探すのではなく、同修との交流を大切にしなくなり、内に向かって探しているという行動で自分自身の不足を隠し、他人のよくないところを探すようになり、一時期は旧勢力によって隙に乗じられ、同修ともめるようになりました。
師父は『沙を淘(よな)げる』の中で、「法を正すことは最終段階になり、宇宙の中のそれらの妨害の要素も学習者の中から精進できない人を引っ張りだそうとしています。例えば、一、理智がはっきりしていない人、二、行為が常軌を逸している人、三、執着心が取り除かれず、ますます膨張し、これによって強烈に外に向けて探し、外に向けて求め、理性を失ってしまった人などです」とおっしゃいました。
自分自身の成熟に執着することで知らず知らずの内に人心が膨らむのは、まさに成熟していない現われです。長くなると心から魔が生じることになり、早く気づかないと旧勢力にこの心を強められ、修煉の道を台無しにされてしまう恐れがあります。私は、自分の膨らむ人心に気づいたとき、本当に驚きました。
師父の慈悲なる教えのもとで、私たちが成熟するのは当たり前であり、成熟にならないことこそが正常でないのです。ですから決して傲慢になってはなりません。修煉はきわめて厳粛であり、成熟したから人心が膨張してはなりません。正しく自分の成熟を対処できるかどうかこそが、真に成熟した大法弟子が必ず乗り越えなければならないことです。
以上は個人の理解に過ぎず、正しくないところはご指摘をお願いします。
2008年5月14日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/12/176189.html)
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