日本明慧
■印刷版   

私は感動した

(明慧日本)ネットで交流文章の「出家者が見た『神韻』」を見て、私たちの師父に対する作者の認識に私は感動の涙が出ました。ただ神韻を見ただけなのに、この出家者が師父に対してこれほど深い理解があることに対して、私たち正法時期の大法弟子に、このことについてここまで理解できている人がどれほどいるでしょうか? 自分たちの現状を恥ずかしく思うばかりです。以下ではこの出家者が話したことを部分的に引用します。

 ------------------------------------------

 彼女は私に詳しく私達が切符を売った情況を聞いて、繰り返しこの話をした。

 先生は偉大なる慈悲心、大変な知恵を持つ大徳の方なので、このような舞台演出ができたのでしょう。「神韻」は決して適当に作って、人を楽しませるためのものではありません。どうやってそれが創出されたのでしょうか? 天国にはいくらでもよいものがあり、先生はすべて見られたことがあるのでしょう。心血を尽くして私たちのためにお作りになったのでしょう。これは衆生を済度できる善なる宝であり、私たちはただ時間と戦って、ひたすらチケットを売ればよいのです。私たちは修煉者で、どうやって円満成就できるのでしょうか? 満身の業をもって、どうやって円満できるのですか? 先生がこの宝を作り上げられたのは、私たちが修煉して円満成就するためでもあるのです。行動に移さないで、どうして円満できるでしょうか?

 この「神韻」はほかでもなく、人を済度するためにあるのです。常人をこの場所、この劇場につれてくれば、この人は救われ、済度されるのです。常人にはみんな業があるので、タイミングが異なっても、この場所に来ることができれば、済度される種がまかれたことになります。

 急いでやらなくてはいけません。私は裕福でなく、お金を持っていない出家者です。皆さんの動きを見ていると、「遅い」、「動きが小さい」と感じます。あと3週間で開演しようとしているのに、まだ3千枚のチケットが売れ残っています。私は心に血が流れているような、痛さを感じます。大して何かできるわけではありませんが、自分の力を尽くして努力したいです。私も人を済度したいので、「神韻」が人を済度できることをわかり、私も加わります。先生がこのような舞台演出を作るにあたって、どれぐらいの心血が費やされたでしょうか? 糸で縫がれた舞台の衣装や、頭飾りを見てごらんなさい・・その右に出るものがありません。先生が心血を尽くされたのは衆生を救い済度するためです。私たちは努力しないと罪のほかに何が残るでしょうか?

 これらの音楽は天国の音楽、天上の音符です。これは人間が創造できるものではありません。私は舞踊と音楽を研究したことがあり、以前舞台演出に参加したこともありますが、(手で顔を隔てて、頭を振る)こんなにはできません。いや、比較なんかできません。私は6年の努力をして、髪の毛が白くなったのですが、神韻に比べるべくもありません。先生がこのような舞台を作り上げられたのは、どれほど難しいか、あなたにわかりますか?

 この演出は一般の文字で表現できるものではありません。新聞・チラシでも、大紀元だってこのような作用がありません。それらの文字には「神韻」の中身ほど大きな作用がないのです。あなたたちが毎日真相伝えをしているものの、それでも神韻には比べようがないのです。つまり、この演出を観に来た人は、それで救われるのです。演出を鑑賞さえすれば救われるのです。これはなんと大きな効果でしょう。もっとペースを上げなければいけません。あなたたちの宣伝はまだまだ不足だらけです。

 私は頭が空白になっています。どのように説明したらよいかわかりません。頭が空っぽになって、静かにこれらの音楽・舞踊の内包を理解しようとしています。内に秘めるものがあまりに多く、一言で説明できるものではありません。

 宗教界でも、もうすぐわかるでしょう。長くても1年間かな。これは先生が「神韻」の演出で明確に訴えておられますからね。

 大法弟子は本当に羨ましい。あなたたちは本当に幸運です。と言うのも、このような仏があなたたちの修煉を導いているからです。私は20年以上修煉をしてきましたが、20年で少しずつ悟ってきているのです。しかし『転法輪』は大人が子供に教えるように、理解してもらえるように、内容を砕いて説明しています。あなたたちはあまりに幸せです。長年経っていますが、どうして私にわからなかったのでしょう。

 ------------------------------

 「神韻」演出の期間中に私は舞台裏で仕事をしていました。ある日彼女と劇場のホールでまた会いました。彼女は、「皆さんはお疲れだったでしょう」と言い、私は「大丈夫です」と答えたら、彼女は私の手を握って、「がんばってください。少しでも多くやりましょう。これこそチャンスです。すべて自分のためにやっていることです」と付け加えました。

 今になって、広く「神韻」を伝えることの意味は皆さんがわかっていると思いますが、認識の差はやはりあると思います。特に中国大陸の同修には「神韻」が持つ広大なる内包と深遠な意味を完全に理解していない人もいるでしょう。私の理解では、今中国大陸にいる中国人が法輪功への迫害の真相について受け付けない主な理由は共産党文化であり、中国共産党支配下の言論規制と目の前の利益のために、いまだに真相を拒んでいる人がおり、法輪功が反共産党・反政府とばかり思い込んでいます。いまや共産党文化の代わりに、「真・善・忍」の思想が溶け込んだ舞台演出があり、これこそは拒む口実も理由もないはずです。しかも、この演出を見て、会場に入り、それを見ることができれば、知らず知らずのうちに自らの体に取り付いている共産党の邪霊が取り除かれるのです。観念が変わったときに救い済度されることになります。ここまで書くと私自身も師父が世間の人々を済度するためにどれほどの心血を費やしておられるかを、改めて思います。師父が自ら「神韻」を率いられるときから、常人が佛恩を感銘できるように、私たちは今年のように行動しなければなりませんでした。もし私たちがもっと師父が衆生を済度する目的を明確にし、師父が払われた代償及び目下の緊迫さを真にわかっているのであれば、今「神韻」という福音を伝える努力にさらに力が入ることでしょう。慈悲なる心で、正念でこれらすべてを加持し、世間にこの最後の機会を逃さないようにがんばりましょう。

 2008年5月17日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/5/16/178543.html