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震災後の真相伝えは理性をもって行うべき


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)最近、中国四川省では大きな地震が発生し、広い範囲で生命及び財産の損失が出ました。目下では捜索活動は技術の遅れで難航しており、救助されていない人々は生存の可能性がますます低くなっています。多くの衆生が命を失っている中、修煉者としても悲しく思います。多くの同修は今の時期が真相伝えのよい時期だと理解しています。一方、民衆は今回の震災で心理上大きなショックを受けており、被災地以外でも打撃が大きいことも事実です。例えば、私の同僚は今回の震災で彼女に齎した恐怖と打撃は、2003年SARSの流行時をも上回ると話しています。確かに、多くの人々がテレビを見て涙を流しているように、何千、何万に上る人々が生き埋めにされていることを思うだけでも恐怖と不安で頭がいっぱいになるでしょう。

 最近、真相を伝える時にかなり熱くなっている自分がいます。熱くなると聞く側が恐怖を感じてしまうし、逆に軽く話すだけでは相手が重要と見なしません。度を掴むことは大変難しいですが、理性をもって穏やかな心性を保ってはじめて縁がある人が救い済度されることでしょう。もちろん、すでに済度できない人もいるでしょうが、執着をせず、説得されても反応しない人もそれまでしかできません。情に左右されて、衆生済度が影響されてもいけません。

 私は時々、古代の予言を話題にしますが、震災のような厳しい時期でも「迷信」だと言って、話を聞かない人がいるのです。確かに、中国共産党に長年「無神論」の教育をされてきた中国人には、これが神が人間に対して警告しているとは思わないでしょう。私たちはこの現状をまず受け止めないといけません。さもないとこの状況下でも覚めない衆生を見ると気持ちが焦り、ゆえに言葉遣いと表情に表れるでしょう。どんな状況でも、何が起きたとしても必ず気持ちを落ち着かせないといけません。説明できるときは説明し、理解されないときは焦らないようにします。焦ることも執着ではありませんか?

 常人にとっては実際肉体が受ける苦痛はまださほど恐ろしくありませんが、元神が処罰を受けて、最終的に形神全滅になることこそが最も恐ろしいでしょう。震災でなくなった衆生を見て私たちは悲しく思います。救い済度されるべき衆生なのに、私たちの行いで彼らは救われませんでした。被災地の状況が私たちに衆生済度の緊迫性をうたっているのではありませんか?

 もう一つの事は、同修たちに注意してほしいのですが、それは法理について理解が浅いことで生じたものです。同修によっては震災で国民の不満が爆発し、甚だしくは軍の反乱がおき、それによって中国共産党が解体されるのでは、との憶測です。私はこれが常人社会の変化に期待を寄せ、自分たちを修煉上の苦難から脱出できる手段だと勘違いしており、法の勉強が足りない象徴だと考えています。天象がどのように変化するかは神の按配であり、神が按配していなければ人間が社会を乱そうとしていても無駄ですし、神が按配しているなら、人間がどう考えようとそのようになるのです。これについては師父がすでに法理で明確に説かれています。

 いかなる場合でも真相を伝えるときは穏やかな心性を保つべきです。焦ってはならず、常人に可笑しく思われるのはなお更いけません。天象がどう変わっても、常人社会の変化に期待して修煉者を逆境から脱出させるなんて思ってもいけません。宇宙万物はすべて法輪大法によって済度されることを期待し、大法弟子たちの正念で師父の正法を手伝うのを期待しているにもかかわらず、天上の神々にも笑われるような常人社会への期待は絶対にあってはいけません。

 以上は個人の悟りであり、同修たちの参考になればと思います。

 2008年5月19日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/5/16/178555.html