吉林省樺甸市:王春艶さんが連行された体験を語る
(明慧日本) 私は王春艶といい今年34歳になる。2007年2月25日、私は宋金仙さんと一緒に頭道溝で真相説明をしていた際に、男2人に告発された。当日午後2時頃、私達は吉林省樺甸市皮溝派出所の悪人に連行された。当日夜、樺甸市「610弁公室」の張守林らは私達を樺甸の名も知れない場所に送った。男は足で宋さんの胸を蹴り、その後、樺甸留置場に移送した。
私は当日チャンスを狙って逃亡し、庭内の材木置き場に隠れていたが、派出所全員が出動して、私をそこから引っ張り出した。4人が私を留置場前に引き摺って行った。その中の1人の男が私を思い切り蹴って、そしてひっきりなしに下品な言葉でののしった。その後、やって来た女数人が身体検査をし、私の服を引き破り、靴も切り裂いた。それから私たち2人をそれぞれ13、16号の監房に押し込んで監禁した。革天福という男が、「お前はまだ逃げるのか? お前を殺人犯棟に入れて冷たい水を掛けるぞ」と言った。
私は農村の生まれ育ちで、幼い頃から家の生活状態は貧しく、母親は身体障害者で、両親の生活はとても苦しかった。しかし両親は苦労して働き、私を学校へ通わせてくれ、大学にも合格した。当時私はいつも、卒業したらある程度の収入を得て、親孝行をしっかりしようと思っていた。卒業後、樺甸市白山郡発電所に就職でき、結婚後の生活も安定してきた。しかし、よいことは長続きせず、2000年に私達夫婦は共に失業し、それからの日々は、ずっと生計を立て直そうと一生懸命で、苦難に満ちた毎日だった。
2002年の健康診断で、私はB型肝炎に感染しており、もうすぐ肝硬変になるところだと医師に言われた。同時に卵管の腫瘍もあり、リューマチ性心臓病、神経性頭痛などの病気もあった。金がないのに病気にかかり、本当に泣き面に蜂で、中国の庶民の生活の苦しさをしみじみと感じた。私は自殺しようと思ったが、白髪の両親を思い出して、涙が流れて止まらなかった。絶望の挙句、私は突然法輪功を思い出した。97年に私は法輪功を修煉している人と会ったことがあり、彼らの立ち居振舞いを見て、そして紹介された法理を聞いて、とても良いと思った。しかし自分もしようとはずっと思っていなかった。
紆余曲折を何度も経て、2003年3月、私はついに無上の宝・『転法輪』を手にすることができた。大法を得て、私はいつも大法の心性基準に基づいて修煉し、間もなく全身の重病がいつの間にかなくなった。それから私は本当に謎から目が覚めて、生命の根本が分かり、真・善・忍、返本帰真の真理が分かった。私は真相をすべての人に教えたいと切に思った。
2007年2月25日に私が連行された翌日、皮溝派出所の警官2人が、白山郡管轄担当の警官を連れて私と宋さんの家に押し入り、不法に家宅捜索した。この間、我々の家族は、私がとても頑固なので、これから先ず労働教養所で「転向」させ、まだ従わなければ人を無くすと裁判所の人より聞いた。家族は、労働教養所に入った人は生体より臓器を摘出されることもあり得るので、私達が殺されるのを恐れ、至る所で人に頼んで金を借り、悪人は1人毎に3万元を要求したので、私と宋さん両家は計6万元を樺甸市の公安、検査院、裁判所にゆすり取られた。(具体的に山分けした人員は不詳)。
留置場で不法に33日間拘禁された後に、私達は不法に労働教養を科され、長春黒嘴子労働教養所に送られた。私は健康診断が不合格で拒否されたが、宋さんは教養所に移送され、そこで度々拷問され迫害に遭ったことが後で分かった。
私が釈放されてから、現地の派出所、公安局は何度も私たちに嫌がらせをし、恐喝した。家族は終日心配で、心身ともに極めて深刻な打撃を受けたが、私は借金を返すために、また夫と苦しみを忍んであちこちで稼がなければならなかった。
私のように中共悪党に極限まで追い詰められた人に、大法は新しい生命を与えてくれ、私の生命は正しい道に沿って、昇華するようになった。私は生命のすべてをもってしても師父の広大な恩に応えられない。ただ師父の説法を聞いて、真相説明をしっかりして、悪党の誤魔化しに騙されたすべての人々を救い、淘汰されないようにするしかない。これも私の天職である。
悪党のために命がけで大法と法輪功修煉者を迫害している公安、検査院、裁判所、「610弁公室」、国安人員などは早く改心し、そして自分の過ちを償うよう心から期待している。
2008年5月24日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/24/177115.html)
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