日本明慧
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基点を正しくすれば人心を変えることができる

(明慧日本)法を正す大法弟子の1人として如何なる問題が現れたとしても、個人の観点をもたず、私を取り除く観点にたてば、そして常に法の中で悟り、法に対して責任を持って衆生を救うことを基本にすれば、問題をよく処理することができます。

 私たちの地区にはあるグループは4年間ほぼ毎日一緒に学法・煉功しており、師父が按排してくださった道を歩んできました。このグループの同修も三つのことを精進してよくできていました。しかしある同修はこれまでに電話を使う際のセキュリティー意識が低く、常人のように携帯を使っていて、どこに行くにも真相資料を持っていきました。集団で学法・煉功するとき、常に隣に携帯を置いていたので危ないと感じましたが、同修に電話するときも改めませんでした。彼女のこの正しくない状態に気づいてから、彼女に電話を使うときには注意しなければならないと指摘しましたが、彼女は口頭でしか答えませんでした。私は自分が新しい修煉者で若いし、古い同修に何を言っても聞いてくれないのだろうと思いました。

 今年に入ってから私は何度も彼女と交流をしたのですが、彼女は「私は恐れません、正念が強いのです」と言いました。そこで私は「正念が強いことは非常に良いことなのですが、大法と衆生に対してそして自分に対して責任を持たなければなりません。とくに学法のこの環境に対して責任を持たなければなりません」と言いました。彼女はやはり口先ではわかりました、と言っているのですが、実際何一つ変わっていません。

 昨日の午後、私はある同修の家から「通信安全の手引き」の冊子を持って彼女の家にいきました。彼女にその文章を読んでから、彼女は「私たちのところには監視するようなことはありません」、と言い冊子を見るのを拒みました。私は非常に悲しくなり、家に帰りました。どうしてこのようになったのでしょうか。きっと私の心に何かがあって、彼女を阻害してしまったのだと思います。私が彼女に説明する目的の大半は自分自身への不安であり、自分を守るための私心があったからです。私は自分が完全に大法に対して責任を負うという基点に立ってないから彼女に伝わらないのだ、と気づきました。これに気づいてから私は師父のオーストラリア修煉者への説法の中の一段落を思い出しました。原文ではありませんが、「あなたの意見を聞き入れるのはたいしたことではありません。重要なのは人間の心を放下することです。人の心を放下できて初めて神のものがあります」と師父はおっしゃいました(説法の原文ではありません)。

 私は再び法の基点に基づいて彼女と交流すると全てが変わりました。彼女の考えも変わるようになり、もう少ししてから彼女は私に電話をかけてきて、もう1人の同修とともに電話における安全面において交流したい、と言い、今後はさらに、私に彼女と学法の場所を加持してほしいと交流しました。

 不足等があればぜひご指摘をお願いします。

 2008年5月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/4/13/176358.html