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孫希さん、長春鉄北刑務所での迫害により身体障害者に

(明慧日本)私は孫希と言う吉林省延吉市の法輪功修煉者である。2000年10月、延吉の邪悪な警察に連行され、2002年春、長春鉄北刑務所に移送されて迫害された。

  2002年5月、長春鉄北刑務所では不法に監禁されている数十人の法輪功修煉者に対して、拷問による迫害を開始した。彼らはその前に所謂「攻堅弁公室」を創立し、この弁公室の主任は瀋陽、山東などに行き、法輪功修煉者を「転向」させる経験を学んだが、その実は修煉者を迫害する残忍な手段を学んだのである。

  大量の人々の血と汗で稼いだ金を使って、所謂「経験」を学んで来た彼らは、全刑務所で「転向」動員大会を開き、刑務所の各監区に命令して、如何なる手段、方法を用いても100%の転向率に達するように圧力をかけた。このようにして法輪功修煉者に対する迫害がスタートした。

  その当時、私は不法に第三監区の三小隊に監禁されていた。2002年9月24日夜、「番号を納めて」寝ようとした時、警官が突然私を留め、強制的に大隊部に連れて行った。当時、その場には監区長・劉占忠(この人物はとても邪悪で、専ら修煉者の事はすべて指示、命令した)、副監区長・韓可為、警官工場長・鍾×、高洪など数人の監区の頭目がいた。

  これらの監区の頭目たちは順番に汚い言葉で大法を汚し、鍾×は私に真っ直ぐに立つように命令した。私は命令に従わなかった。そこで邪悪な警官・鍾×、高洪らは順番に30分間、酷く殴打、びんたを食わせた後、私を強制的に鉄の桶に入れ、食事を摂るときだけそこから出した。鉄桶を大隊部に置き、昼は副監区長・韓可為が当番になり、法輪大法を汚すビデオを流して、私を眠らせない、水も飲ませないようにして、私に眠気がくると、鉄棒で鉄桶を激しく叩き、振動で私は気を失いそうになった。このようにして100時間虐待し、私が意識もうろうとしてからようやく中止した。

  第2回目の迫害は2003年1月10日、労働教養所では吉林省労働改造局から「転向」状況調査に来るという噂があり、邪悪な警官たちは再び、法輪功修煉者に対する迫害を再開した。1月10日夜、また私に番号を納めさせず、眠らせなかった。今回は邪悪な警官が直接手を下さず、6人の受刑者を呼んで来て私を迫害させた。この6人は王馬鹿というニックネームの王喜武のチームで、地面に円を書いて私を円の中に立たせ、動くたびに殴打した。当時はちょうど冬でとても寒かったが、邪悪な警官は私を1日24時間中立たせたままで、生死も問題にしなかった。翌日の夜も殴打し、真夜中、私を殴打したのは受刑者・于景玉、孫勇、王洋らで、連続1時間半打ち続け、私の肋骨が骨折しても止めようともしなかった。後半は受刑者・王馬鹿、李志軍、王得新が続けて迫害した。

  王馬鹿と王得新が私を机の上に押し付け、李志軍が煉瓦を用いたゴムの鎚で私の全身を打ち、私は意識を失ったり、回復したりした。一番激しく打たれた部位は腰、両足で、2時間を過ぎると今度は地面に押し倒して脚で激しく蹴飛ばし、内臓が損傷し、8日間もトイレに行けなかった。もう少しで腸が癒着し生命を失うところだった。

  このように、私は迫害で両足の筋肉が萎縮し、歩行が難しく、現在も回復していない。もう少しで麻痺状態になるところだった。

  これは、鉄北刑務所で法輪功修煉者を迫害した例の、ほんの氷山の一角に過ぎない。これらを暴露する目的は唯一つ、もっと多くの善良な人々が邪悪な中国共産党を見抜いて離脱する事と私達が共に手を携えて、真・善・忍を信仰する良い人に対し、この世のものとも思われないほど悲惨な迫害を制止させるためである!

 2008年5月27日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/23/179013.html