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姉妹二人は重刑を言い渡され、家族全員が迫害を受ける(写真) (明慧日本)柴君侠さんの家族は4月10日、遷西県裁判所から転送されてきた唐山市中級裁判所の二審の判決書を受け取った。判決書には君侠さんに対して4年の判決を下し、一審の判決を維持すると書かれていた。判決書の日付は3月5日だった。この家庭でまた1人(2人目)が不法に重刑を科されたことになる。一年少し前、君侠さんの親族の揣翠君さんが不法に5年の判決を科されている。
この数年間、柴君侠さん一家は前後して5回家宅捜索を受け、6回強制連行され、5人が不法に監禁された。柴君侠さんと揣翠君さんは更に何回も迫害され、現在はそれぞれ4年と5年の刑を言い渡されて、不法に監禁されている。姉妹2人が数年間苦労して経営してきた雑貨店も、経営する人がなく、先月に仕方なく閉じられた。 2003年、姉妹は県政府のある都市に行って商売をしようとした。そして、姑と舅を含めて一家9人は遷西県新庄子郷米城庄村から引越しした。彼女たちは自由市場で苦労しながら屋台を経営し、後になって部屋を借りて雑貨店を経営し始めた。この間、姉妹は老人と子供の面倒を見ながら商売をしていた。苦労していた2人だったが、大法修煉者として、「真・善・忍」の宇宙大法に対する信念は彼女たちに智慧と力を与えてくれ、2人には乗り越えられない困難などなさそうだった。彼女たちは病気の老人と幼い子供の面倒をみること、商売上の煩雑なことなどすべてをきちんと按排でき、一家は幸せで穏やかは生活を送っていた。 2006年5月、揣翠君さんは数人の大法修煉者と共に真相資料を配布している時、邪党の不法メンバーらに強制連行された。遷西留置場で強制的に採血され、手錠と足かせを嵌められ、濃い塩水を注入(灌食)されるなどの迫害を受けた。遷西邪党メンバーらは裁判所に指図して、証拠が足りない状況にも関わらず、2006年10月から2007年1月まで前後して4回不法に開廷した。最後には遷西610弁公室の脅迫の下、翠君さんに5年の刑を言い渡し、石家庄女子刑務所に送り、迫害し続けた。刑務所で、警官は数昼夜も睡眠を与えず、欺き騙すなどの手段で、翠君さんはすでに転向したと言いふらした。彼女は服装加工の仕事を強いられ、朝6時から夜10時まで、毎日十数時間体力に負えない重労働を強いられた。警官はまたややもすると侮辱したり、刑務所の規則を暗唱させたり、点数を減らしたり(点数が多いほど減刑される期間が長くなる)、家族と面会させないことをもって脅かすことが多かった。 柴君侠さんは2007年7月18日に捕えられた。その日の夜11時過ぎ、遷西国保大隊の大隊長・朱振剛、遷西城関派出所の所長・張印博は十数人の警官を引き連れ、数台のパトカーで来て、彼女の家を包囲した。塀を跳び越え、部屋に浸入し、パソコン、プリンター、大法書籍、その他商品を奪い去った。また君侠さんと姑を連行した。その夜、張印博はまた警官を連れて金場峪鉱に行き、坑内で作業中の揣志剛さんを強制連行した。家の中はひっくり返されて目茶目茶になり、自宅には脳血栓を患っている舅と3人の未成年の子供だけが残った。(8日後、張印博は報いを受け、元は丈夫だったが突然悪疾を患い死亡)。 2008年1月7日、遷西裁判所はすでに半年近く、監禁していた柴君侠さんに対して不法に開廷した。君侠さんは法廷において厳しい口調で、中国共産党の党員であるすべての裁判関係者はこの裁判を回避するよう要求した。なぜなら、法輪功に対する迫害は中共が発動したもので、中共党員の裁判官は公正な審判を下すことができないからである。君侠さんの夫・揣志剛さんは君侠さんの弁護人として、法廷で証人を出廷させ、実物を提示し、家から奪い去ったCD-ROMを放映し、書籍を展示するよう要求した。裁判所はまったく法理を講ずることなく、まったく理由がない状況で、君侠さんに対して4年の刑を言い渡した。君侠さんは判決を不服とし、唐山中級裁判所に上訴したが、結果として邪党に操られている唐山中級裁判所は一審の判決を維持するという結論で上訴を却下した。 君侠さんが強制連行されてから、家族は何回も面会を求めたが、すべて許可されていない。 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 2008年5月28日 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/18/176726.html) (英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/5/3/96990.html) |
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