日本明慧
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修煉は年齢と関係なく 志も年齢と関係がない


 文/中国大陸大法小弟子

(明慧日本)下記は、数人の大法弟子の真相説明、衆生済度の経歴です。

 1、初めて真相を伝えたのは、風呂屋でした。私は、1人の少女に会いました。彼女は、精神状態があまり良くなかったので私は、彼女を救おうと決心しました。私が「大法が良いと信じ続ければ、貴方は幸せになれるでしょう」と彼女に伝えると、彼女は、涙をぽたぽた流しました。そして彼女は、彼女の母が彼女の家族は、みな○○の教を信じなければならない、他の神を信じては、ならないと言っている事も教えてくれました。私は、「構いません。あなたに危険が迫っている時に「法輪大法好」と念じれば、神は、絶対あなたを助けてくれるでしょう」と言いました。

 私は、仲間を家に連れてきて、母と協力しながら真相を伝えました。人を助ける為に、私は、いろいろ方法を考えました。私は、真相と伝えるための資料の中にある一文を学校の手紙に載せてもらいました。皆素晴らしいといってくれました。

 また、私は、休み時間に先生が職員室にいない時を利用して、先生の机に『九評共産党』の本を置き、先生達の電話番号を集めて、ネットに送りました。ある日他の人が、私がお守りを着けているのを見てこれは何かと聞きました。私は、私が以前よく風邪を引いていて、授業の復習も出来なかったので、親戚が、お守りをくれてその時から風邪を引かなくなったと言って、その人を正面から済度しました。

 2、私は、15歳で、中学3年生です。私が母と一緒に真相が書かれている資料を配りに行った時、私は、ビルの下で母が、チラシを配っているのを見ていました。私のクラスは、腕白なクラスで、私のクラスの誰か分かりませんが、1人に1冊、大法の真相資料を配りました。授業が終わったらみんな机にへばりついて見ていて、先生が皆寝ているのか? と思うほどでした。私は、クラスの人に配るだけでなく、先生達の机にも1冊ずつ配りました。

 またある時、クラスメイトが、火で遊んでいて、『九評』の1ページを破って燃やしていました。でもどうしても火がつきませんでした。私は彼にやめるよう言いましたが。彼は、聞かずにもう1ページ破って燃やしました。でもやっぱり燃えないので、普通の紙に変えたら、火は、勢いよく燃えあがり、彼の眉毛や前髪を焦がしてしまいました。

 私は、16歳です。学法や発正念も皆に追いついています。私は、2001年から母と一緒に、真相資料を配り始めました。母は、私のことを心配して真相資料を隠しました。だから私は、自分で探して、配っていました。またクラスメイトにも「共産党にはいっていても意味がないしやめよう」と言って真相を伝えていました。2004年私は、香港に行って、同修が法輪功を広めているのを見ましたので、私は、父が監獄に入れられたことをいいました。そうしたら、香港の大法弟子が、みな自分から私の家に連絡をくれて、どうすれば父を助けられるかを相談してくれました。結果大量の電話が監獄に向けられました。父は、監獄の中で病気になったので病院に運ばれました。警察は父に、あなたたち大法弟子は、強すぎます。電話にでると法輪功なんだからといったそうです。

 3、私は、19歳で今年高校2年生です。学法も発正念も皆に追いついています。初めて真相を伝えたのは、中2の時でその子は、私の親友でした。彼は、喜んで受け入れてくれました。

 また、補修クラスの休憩時間に、全てのクラスの学生に天安門などで起きた、自身焼殺は、どういう事だったのか、大法は、どういうものなのかを皆に教えました。私は、自分が言ったことは、とても筋道があっていると思いました。心に恐いという念はなく、私の心には、絶対に皆に真相を伝えようという念しかありませんでした。最後は、50歳を越えた先生も私の言葉を聴いてくれて、さらに、貴方の言ったことは、理がある。と私に言いました。

 また、高1のとき、学校が計画した北京旅行があり、朝、国旗を揚げるとき私は、発正念をしました。結果、旗は、揚がったり、とまったりしました。国歌は、4回も流れたので、みんな怒っていました。また、中南海まで遊覧に来た時、ガイドが、衆生に対し責任をもたない発言をしたため、私は、発正念をしました。そうしたら、ガイドは、故宮でマイクの使用禁止の規則に違反したので、罰として5年間昇給できなくなり、給料の値上げもなくなりました。私は、彼に早く悟って欲しいと思いました。

 2008年6月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/3/9/173950.html