師父はいつも側におられる 文/黒龍江省の大法弟子
(明慧日本)法を学んで、師父はいつも私達の側におられ、たくさんの正神や護法神も、いつも私達の側にいることを知りました。以前は、これはただ理論上の認識にすぎないと思い、本当の現実および大法弟子の修煉の真実の状態だと認識していませんでした。
実はこの法理について、師父は繰り返し何度も言われました。「すべての学習者にわたしの法身が付いており、しかも一つにとどまらない」(『転法輪』)「あなたはすでに大法を修煉し始めており、法身があなたのすぐ側におり」、「学習者の背後にみなわたしの法身がいて」(『法輪功』)、「実はみなさん、あなたが修煉しさえすれば、私は常にあなたのそばにいます。」(『ヒューストンの法会の説法』)、「皆さんに教えますが、あなたがよく修煉しているならば、私はいつもあなたたちの傍にいます」(『北京国際交流会での説法』)、「皆さんは私本人に会えないのですが、実は修煉さえすれば、私はあなたの身近にいます」(『米国法会の説法』)、「実のところ、あなたは毎日私の身辺にいて、あなた自身は知らないだけです。しかしあなたに知らせることもできません。あなたの表面はやはり常人だからです」(『法輪佛法——ヨーロッパ法会での講法』)など。
以前は師父のこれらの法を読んでとても嬉しかったのですが、とくに深く考えませんでした。そして人心に障害されて、法の修煉者に対する指導作用及び修煉者に表した形式を認識しませんでした。今、私は師父が本当に私達の側におられると分かりました。いつも師父が側におられると考えれば、神としての考えが強くなり、人としての正念が強くなるのです。
朝起きたくないとき、師父が側で見守っておられると思えば、私は人として引き続き眠るのか、それとも神として起きて煉功するのか? 町に行ってきれいな女性を見たら、時に心が動じて気持ちを抑えきれなくなるとき、師父が側におられると思えば、どうしても恥じ入り、こんな不潔な色欲の心が自分にまだあるのか? すぐになくそうと思うのです! 同修と論争して自分を堅持する時、師父の事を思えば、師父の法が耳に聞こえてきてすぐに冷静になり、すぐに内に向かって探して自分の不足を探し出して修煉してきました。真相資料を配布する時、時には恐怖心が湧いて来ますが、師父が側におられると思えば、たちまち正念が起きて、そしてとても勇ましく真相資料を届ける場所に、しかもふだん勇気がなくて置けない場所に置くことができました。同時に、知恵も浮かんでくるのです。一念の中に時にはとても悪い考えが生じることもありますが、師父が見守っておられると思えば、すぐに冷静になる事ができます。そして考えを正して、真の念を堅持し雑念と後天の観念を排除するのです。
私の考えでは、いつも師父が側におられると思うこと自身が正念であり、それだけで私達は正念を持って、「三つのこと」をしっかりと行い、修煉の道を正しく歩むことができます。
個人の悟りで、妥当でない部分はご叱正ください。
2008年6月3日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/18/178698.html)
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