人を救うことこそ大法弟子の責務 文/山東徳州大法弟子
(明慧日本)明慧のお知らせにより煉功の時間が増えて以来、一部の修煉者は長い間個人に執着しているため、煉功の時間を大幅に増やした。これは師父が弟子たちの本体の演化が遅すぎると思われたのでそうしたなどの自己解釈をして、お知らせの趣旨に全く背いた。このことから、多くの同修はまだ自分に対する執着を放下していないことを見ることができる。
修煉から見て、煉功の時間を増やすことはもとより非難するほどのものでもないが、しかし衆生が危機に直面しており、個人の執着心のために衆生の安否を見落し無視する一部の同修のこのやり方は、過激さの現れなのではないかと思う。交流や集団で法を学ぶ時間が短縮され、中止することさえしばしばある。甚だしきに至っては、土曜の午前中に集団で煉功している。そうすれば、この日だけで6時間もの煉功時間を費やしていてしまう。そして一日4回の発正念を1時間(地区の自主発正念を含まない)、『転法輪』を一講で約2時間、他に家事や休息を入れたら、衆生済度に使う時間は限られている。しかしながら、我々修煉者として、この危難に瀕した時に、最も根本的な責務は急いで人を救うことなのだ。
まず、これほど煉功の時間を割くことは妥当ではないと思う。一人の修煉者として、できる限りのことを尽くし、いかに効率よく世の人々を救うかを考慮すべきだ。師父は法を説かれる中で「急いで人を救う」ことを提起された。真の正邪の対戦は今現在すでに始まっている。旧勢力の規制は次から次へと多大な災難をもたらして、世の人々を淘汰しているからだ。我々は世の人々に真相を理解してもらい、三退の決意をさせれば、それらの生命に基本的な保証を与えることになる。でなければ、世の人々はいつでも生命を失う危機に直面し、それによって、永遠の機縁を失うのである。実に急がねばならない時が来ている。
ある同修は、予言の中で大淘汰が到来することに言及し、結果としてそれほど多く残されないという。しかし、いかに正確な予言にも関わらず、すべて旧勢力の按排によるものだ。私個人の理解として、師父はすべての衆生を救い済度することを望んでおられる。我々弟子の怠慢と様々な執着が原因で、世の人々は災難が来たときに真相がわからないため、免れることができず、師父に合わせる顔がない。四川大震災の痛ましい惨状を見て、私は涙を抑えることができなくなり、これらの被災者に対して責任を果たしていない後ろめたさを感じた。同時に時間がかなり切迫していると感じる中で、積極的に真相を伝えて、できるだけ多くの人々を救いたいものだ。
邪悪の勢力がニューヨークで法輪功に対する妨害や罪の転嫁等を行ったときに、それに関することで同修たちと良く意見を交換した。邪悪な連中が罪を転嫁し視線をそらして、世間の人を愚弄することは、もっと多くの人を落としたいからだ。我々は修煉者として何か問題に直面する時、いつも自分の内面を探し、自己のための執着をいっさい払うべきだ。しかし往々にして、人を救う認識が不足している一面を露呈して、自分が責任の重大さと人を救うことの緊迫さを意識せず、邪悪に迫害する口実を与えてしまった。師についてその広大な願いをかなえることこそ我々弟子としての本願だ。自分自身に対す執着を放下することができなければ、法を正すことと正覚に最も大きい阻害になると思う。
2008年6月4日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/30/179325.html)
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