日本明慧
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「定」について

(日本明慧)今日、入定の「定」という字を見たとき、心の中が突然震え、何か法理を悟ったかのような気がしました。

 私は、これまでずっと入静できる時が非常に少なく、法を学ぶにしても、煉功するにしても、説法の中で師父が要求されている状態までなかなかなれませんでした。私も自分の執着が多すぎることが原因だと苦しんでいました。人間の中で修煉しているのですから、必ず人心が表れ、必ず執着が現れ、必ず乗り越えなければならない関があり、歩まなければならない道があります。「静」とは求めて得られるものではなく、それは絶えず執着を放下する中で自然に成し得る状態なのです。

 「定」も「静」の中で成し得るものです。この状態は三つのことをしっかり行うことや、心を静めて法を学ぶことや、全ての妨害を取り除き、法の中に溶け込むことに現れています。発正念するときはしっかりと自分の空間場を清め、発正念する際は主意識を強くし、エネルギー場が非常に強くなり、正念も非常に強くなります。真相を伝えるときは人を救いたいという一念さえあれば、強い定の力が全てを抑制することができます。

 実は私たちほとんどの大法弟子にはこのような体験談や奇跡があります。これらも修煉の中で最後まで信じ続けることによって初めて成し得る状態です。

 2008年6月5日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/31/179438.html