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元パイロット申文傑さん:5年間の監禁後再び迫害に遭う

(明慧日本)(中国大陸大法弟子)2006年12月、元北京首都空港のパイロット、大法弟子・申文傑さんは北京前進監獄から釈放されたが、元の勤め先であった中国国際航空株式会社、北京朝陽区首都空港派出所および北京市公安局は結託して、戸籍の規定に符合しないとの理由で彼に戸籍と身分証明所を発行するのを拒んだ。その結果、彼は長期にわたり定職にもつけず、日銭を稼ぐ生活を強いられた。

 2008年4月、中国大陸の民用航空会社の公安機関は「オリンピック」を口実に、民用航空の関連会社のすべての従業員に戸籍の所在地に戻り「無犯罪証明」なるものを各地の派出所から取ってくるよう通達した。当時申文傑さんは臨時職員の身分で深セン(魚昆)鹏国際飛行学校で働いていた。まもなく、飛行学校の所在地の広西梧州の中共悪党の公安支局は学校に他省から来た臨時職員全員の身分証明と暫住証を取らせるように求め、なお申文傑さんについては故意に暫住証の取得を拒絶した。

 申文傑さんは2007年12月に広西梧州に来たが、この仕事の給料はとても少ないものだった。目下、彼はまたやむを得ず路頭生活を強いられている状況である。情報によると、警察当局は彼の居場所を探しているという。

 申文傑さん、河北省行唐出身、1995年大学に合格。1999年首都空港が北京でパイロットを募集する際に、厳しい試験を突破し合格。その後、飛行技術が群を抜いたので、首都空港は彼をアメリカに留学させ、彼はまもなく優秀なパイロットに成長した。

 申文傑さんとフィアンセの董翠さんは1996年から法輪功の修煉を始めた。董翠さんは1994年から1999年まで北京市順義区婦女幼児保健病院の医師として勤めていた。2000年の後半から、迫害から逃れるため、やむを得ず二人とも仕事をやめ放浪生活を送るようになった。2001年の暮れ、法輪功の真相を人に伝えたことを密告され、二人同時に北京市順義区拘置所に不法監禁された。2年後、同区裁判所から二人とも5年の不当判決を言い渡された。

 その後、董翠さんは北京大興女子刑務所に移され、その8日後に三分区監獄長の田鳳清らによって拷問され、苦しみの末死亡した。享年28歳だった。当時申文傑さんも獄中で迫害を受けており、彼女の死亡については知るすべもなかった。5年間彼は数え切れない残酷な精神的および肉体的拷問を受けた。2006年やっと魔窟から解放され、彼女の消息を求めて捜し歩いた。4年間離れ離れにされたフィアンセが冤罪を晴らすことができないまま、もう他界したことを知った時、彼の悲痛はどんなものなのだったかは想像に難くない。

 2008年6月5日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/3/179623.html