日本明慧
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徹底的に私心を取り除く


 文/北京大法弟子

(明慧日本)2008年4月6日に『転法輪』中の<清浄心>という一節を暗誦する時に、突然私は法を学んで、煉功して、発正念して、どうして入静することができないのかを考えました。それは私の雑念が多く、邪魔をするものが多すぎて、自分の各種の欲求、執着する心が多すぎる事がもたらしていたのです。例えば、負けん気が強くて、顕示心、嫉妬心、歓喜心など各種の常人の心があまりにも多すぎることが原因だったのです。

 このことが「三つの事」をするときにも常に現れていて、自覚しているかいないかにかかわらず、自分を実証していました。常に何をするにも、人から認められ称賛されたいと思っていました。そのために何ごとでもやった後で必ず繰り返して考え、表面上はすべての事をしっかりと行なっているようですが、実は名声のためで、自分を実証すためでした。だから煉功するときに、これらの思いがいつもわたしの頭の中にあり、私を邪魔していました。

 また同修たちが真相を伝えて、「三退」をすすめるのがとても良く、私も何とかしようと思いました。この人ならどうやって勧めるか、あの人ならどうやって勧めるか、と考えても結果は私が思うようにならず、また繰り返し考えていました。しかも私は法を習い、座禅し、煉功するとき頭の中に浮かんできたことを、何度も繰り返し思い出し、私に邪魔をしました。実はその発想自身は法の基準と一致しない、変異したものです。しかも自分がやっていることを他人よりうまくやりたい、或いはうまくできないことがこわくて、自分が取り残されたと思っていました。威徳が足りないのかもしれない、自分が世界中の衆生を救えないかもしれない、しかも同修の中で自分を表現したいという心を持っていました。他の次元にいるよくない生命たちが悪いことをして、いつも邪魔をしていました。

 しかも自分の息子が妻の父と仲良くし、妻に貴重品を買ってあげたときには、私は気を悪くしました。嫉妬心が出てきたときには、ずいぶん昔のことを頭の中で繰り返し、気持ちがとても悪くて、入静できませんでした。さらに小さなことでも夫と喧嘩しました。いつも夫と争って勝ちたくて、争う心がたくさんあり、煉功するときに毎日思ったことや言ったこと、やったこと、出くわしたことに邪魔されていました。そのために私はとても困って、なんとか努力してそれらを一掃したかったのですが、しかし効果はとても悪かったのです。今、やっと悟りました。それはすべての常人の心が深く、さらに整理したらすべて「私心」だったのです。もし本当に入静したいなら、自らが内に向かって探さなければならず、自らのことも修めなければならず、本当に自分の心性を向上させなければならないのですから、徹底的に取り除きたいと思います。無私無我で、他人を先、自分が後、の正法正覚の覚者になりたいのです。そして慈しみ深い師尊の苦しい済度に背きたくないのです。

 私はいつも投稿しないのですが、いつまでも明慧から得るばかりではよくないと感じました。今日は少しだけ体得がありましたので、書き出して同修とお互いに促進し、高めたいと思います。そして、しっかり最後の道を歩いて、師尊と一緒に家に帰りたいと思います。

 2008年6月6日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/6/175851.html