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特別取材:波瀾万丈な生命の風景(上)

(明慧日本)法輪大法が世に伝えられて16年間になりました。人種・職業が異なる1億人はなぜ法輪大法の修煉に入ったのでしょうか。彼らが残酷な迫害に直面して、決して屈しない勇気と力はどこから来たのでしょうか。そしてどんな心境で彼らは自身の栄辱と安否を問わずに世間の人々に真相を伝え続けているのでしょうか。

 現在カナダ・トロント市在住の呉艶霞さん(女性)はごく普通の法輪功修煉者です。彼女はかつて天津市庭園学校で18年間教鞭をとり、毎年「優秀教師」に選ばれて、国家の「第8次5カ年計画」の表彰も受けました。呉さんは長い間熟考をした後法輪功の修煉に入ることを決心して、それから波瀾万丈の生命の風景を体験してきました。ここでいっしょに彼女と彼女の同修の物語を分かち合いましょう。

 (以下の内容は取材の録音によって整理したものです)

 夫は1996年から法輪功の修煉を始めて以来、人生の真の意味が分かり、心身ともに受益したので、私に法輪功の修煉を勧めました。しかし、私は一向に気功に対して興味を持たず、自分が良い人だと思っていましたので、最初修煉の願望がありませんでした。彼は毎日学法と煉功をして、体と心性がとても早く良い方向に変わりました。たとえば以前彼は気性が激しくて、万事はすべて自分が正しかったのですが、修煉してから彼は問題に遭った時一歩退いて、まず自分の不足を探して謝るように変わりました。彼の変化を見て、私も一緒に区の法輪功修煉体験交流会に何回も参加しました。

 私がはじめて参加した交流会に、エンジニア、学生、労働者、無職のおばさんを含めて10数人の修煉者が修煉後の心身の変化を語りました。2時間以上静聴して、私の心は修煉者の誠実な発言に強く打たれました。

 「守銭奴のおばあさん」のストーリー

 当時ある年を取ったおばあさんが原稿も準備しないまま思いついたことをその座で発言した内容を、私は今でも覚えています。修煉前に彼女は子供達と親戚、友人に「守銭奴」と呼ばれていました。少しでも得をしようとして、少しの損も蒙りたくないのです。勤め先で賃上げ、住宅の配分など美味しいことがあれば絶対に争い、ふだん市場で買物をする時、たとえわずかな金でも譲りません。「山河は変え易し、人の本性は変え難し」のことわざがありますが,このように大半の人生を送ってきた老人でも法輪功を修煉してから根本的に変わりました。法輪大法は良い人とはどのような人か、どうやって良い人になれるかを教えてくれ、外部の環境がどうかに関わらず自分を修煉することから始めることだと彼女は言いました。

 ある日、彼女は市場で桃を買う時、100元札を渡して、96元5角のお釣りを渡されました。その後、彼女はお釣りの中の50元札で肉を買おうとしましたが、肉売り場の店員が50元札を手に持って繰り返し見た後、偽札だ、早く桃売り場に先ほどの100元を返してもらえ、と言いました。

 当時、偽札が中国でたくさん出回った時期です。人に50元札か100元札を渡したら、相手は用心深く繰り返しチェックするのです。万が一偽札を受け取ったら、普通、すぐ何らかの買い物でその偽札を使いたいのです。「守銭奴のおばあさん」はこの話を聞いて、最初怒って桃売り場にすぐ向かっていきましたが、やはり足を止めて、「もういいです。桃売り場の店員に返すと、彼はきっとまた他の人にお釣りとして渡すから、もういいです」と言って、その偽札を引き裂きました。

 普通このような事に遭ったら絶対桃売り場の店員とけんかをしますので、肉売り場の店員はとても驚きました。彼は「守銭奴のおばあさん」にこれでは貴方は損をすることになるのではないかと言うと、おばあさんは、偽札が氾濫している今、誰かのところで止めないといけないと言いました。この高い教育も受けていないおばあさんの質朴簡素な話に私は敬服しました。

 一歩を退けば、海も空も広くなる

 あるエンジニアが勤め先で住宅の配分の話をしました。当時の中国の都市部では住宅は全て勤め先から配分されていました。数が少ないため、みんな一生懸命争い、同僚の間で友人関係が壊れてもかまわずに争ったのです。そのエンジニアは、修煉してから人のことを先に考慮して、万事が自然のままに任せる道理がわかりました。本当に貴方のものであれば失うことはなく、貴方のものでなければ争っても手に入らないのですという師父の言葉から、これで気持ちが淡々として、堂々と生きることができると言いました。

 彼らの話はとても道理にかなうと感じました。住宅などは数が限られていて、100人の間で10軒の住宅を配分するとなると、例えみんなが上の人に賄賂を贈って争っても、住宅は100軒に増えず10軒のままです。みんなが上の人に賄賂を贈らなくても住宅は10軒のままで少なくなったりはしません。利益を手に入れた場合まだたくさんの人が得ていないと考え、利益を手に入れない場合は心を広く持ち怒らずに、限られた少数の人しか得ていないと考えれば気が済みます。修煉は、このような考え方を人に教えているのです。もしみんなが自分のことだけでなく他人のために考えたら、心が安らかになって、人と人の間も調和の取れた関係になると思います。

 中国では、みんなよく小さな事で口論して、人の悪いところを探す習慣になっていました。自分に関心と愛をくれることを人に望む一方、自分が人のために何かをやるべきことに気づきません。2人が丸木橋を渡ろうとする時、2人とも譲らずに相手に引き返してほしいと思えば、言い争いは止まらないまま誰も渡ることはできませんが、一方が少し譲って退いたら、問題はすぐ解決するのです。

 法輪大法は、対立の時内に向けて自分の不足を探して、まず自分自身の改善を図って、一歩退けば海も空も広くなる、という道理を説いているのです。社会の道徳が急速に悪化している現在、自分を浄化しながら周囲の環境と社会全体を善良にさせる、清流のような修煉の団体がよく現れたのだ、と思います。

 俗世間の浄土

 私はかつて生徒たちに、法輪功を修煉する生徒と修煉していない「三好学生(中国では小学校から大学まで、クラスの思想が好い、成績が好い、健康状態が好い、いわゆる『三好』の優秀な生徒を各クラスで毎学期投票をして選出し表彰する制度がある)」との間で、どこが違うか聞きました。生徒は例を挙げてこう説明しました。学校の浴室の下水道はよく詰まります。周りに人が居る場合あれらの「三好学生」も掃除をしたりしますが、もしも見る人がいなかったら彼らは必ず掃除をするとは限りません。一方、法輪功を修煉する学生は下水道が詰まったのを見たらいつでも掃除をします。人が見ているかどうかに関わらず、みんなの便利になることであれば、彼らはいつもやっています。なぜかというと、彼らのやる事は人に見せる、または人に認めてもらいたいのでなく、彼らが人助けをするのは何の目的もなく、ただこの事が人のためになるかどうかだけを考慮します。

 生徒の話で私は目覚めて、真剣に反省をしはじめました。良い生活を送るためには人に認められることが必要で、やった事を人に見られなかったら無駄になるということがすでに人間の観念になりました。私もいつも人に見られる表のことに工夫を凝らしており、潜在意識に人に認められたい気持ちがあり、人に認められないまたは見られないことに興味がない、と私は気づきました。

 今まで私はずっと自分が良い人で、周りも良い人だと言ってくれています。しかし、これらの修煉者に照らすと、私が持つ「良い」基準は修煉者の基準とは雲泥の差のようだと感じました。一つは私のため、一つは人のためで、「無私無我」の真髄を理解できました。周りの法輪大法修煉者から私が見たのは彼らの修煉後の健康状態が生まれ変わったように変化しただけでなく、彼らの心の奥底で起こった巨大な変化と道徳の昇華も見えました。

 法輪大法は私に俗世間の本当の浄土を見せてくれました。私は法輪大法に入って修煉することを決心しました。

 (続く)

 2008年6月7日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/5/24/179027.html