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半年間酷く迫害された原因


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)この半年間、各地の大法弟子は邪悪に酷く迫害されました。邪悪が最後の戦いをしているだけでなく、私達自身の状態が法に従っていないことが邪悪に迫害された原因です。以下は心性の修煉について交流したいと思います。

 「自我のための私心」、「自我を実証すること」から脱却できないのか

 他人のためにすることは自我のためにすることより力があり、知恵があるのですが、我々の同修の中で、どれくらいの同修に主意識が認識でき、常に「無私無我」、「なおかつ他の人を先に」の基準に達しているでしょうか?

 常人は打撃にあったとき、第一の反応は自分を保護し、手を自然に握るのです。このようにしてどうやって手の中に入っているものを見つけられるのでしょうか? これは「私」の表現です。我々大法弟子は正念が弱い時、人の面は隔離され、神の面は超常的になれません。同修はみな三つのことをやっており、法に対する認識の差で同修間の距離が大きくなるのは必然でしょうが、私達はもっと自分を厳しく律し、更に法の要求に達するべきです。

 法を正す修煉の中で三つのことを行うことで、私たちは新しい宇宙の自分の果位に必要とされる全ての衆生を円容・円満させています。私達がどれくらい行い、どれくらい耐え、精進できるかどうか、どんな果位に達せるか、すべてその中にあります。

 法を得ても、真相を伝えに出ていかない修煉者、怖がって家で学法して、衆生を救う勇気がない修煉者、旧宇宙の「私」から抜け出せず、道徳水準が常人よりも低く、学法してもなにも得られない人、佛道神はどうやってこんな境界の低い人に高次元の法を現すのでしょうか? 

 師父は『沙を淘(よな)げる』の中で三種類の精進しない修煉者を例えにされました。今回四川大震災が発生した後、理性がなく、ごたごた言う修煉者はウェブサイドでよくないチャットを貼り付け、悪党のネットスパイも落とし穴を配置し、世の人々の大法弟子に対する誤解を引き起こしました。私達は常人の形式に動揺せず、内に向かって探すべきで、地震のことに対し、真相を伝える中で現れた利己的な考え、残っている旧勢力に符合する観念を取り除き、私達は慈悲の境界に昇華しなければなりません。ある地区には確かに修煉者を迫害し、修煉者を壊すことに参与する「修煉者」がいます。これらの人は同修の中に入り込み、私心がある同修と協調人に近づき、その変異した考えと行為は山のように、花崗岩のような物質を形成し、法を実証する仕事に損失と破壊が出てくるのです。

 心性を修煉しない同修は、三つのことを行いながら、人心で全体の協調を妨害し、大きな魔難に遭いました。同修は自分の執着を放下し、「私」を取り除き、まず他人を考える生命の中で、執着を取り除くのは鋼火に木の屑が溶けるように簡単で、「私」のための旧勢力は脅迫する勇気もなく、生死を放下した神を利用することはありえるのでしょうか? あれらの私生活を自重しない人、大法弟子が節約して資料を作るお金を大事にしない人、集金と集金を保護する人、穏やかな常人にも及ばない人、自分を実証し、大法弟子を嫉妬、迫害する人、全体の協調を妨害する人、厳正声明を遊びごとにする人たちは、このまま続くと、どれだけのことをしてもそれは修煉ではありません。

 師父は、「大法弟子個人の修煉と向上はすでに問題ではなく、大法弟子の圓満成就もすでに問題ではありません。現在、行わなければならない一つの重要なことは、如何により多くの衆生を救い済度するかということであり、これは現在、大法弟子が圓満成就する過程でやり遂げなければならないことでもあります。これは大法弟子の使命であり、当然の責務であり、必ず行わなければならないことで、必ずやり遂げなければならないことです」(『2007年ニューヨーク法会での説法』)といわれました。

 この半年の邪悪な迫害はこの状態が引き起こしたとは言えませんが、これらは同修が内に向かって探さず、三つのこと行うのは自我を実証するためで、旧勢力の私から抜け出ていません。精進せず、心を修めず、「私」を抱いて三つのことを行い、正法時期の大法弟子になれるのでしょうか? 私達が真相を伝えるのは、衆生を救うためで、私心を抱いて更に多くの衆生を救えるのでしょうか? 他人を先に考える大法弟子になれるのでしょうか?

 同修の文章・「7年の資料点の生活からみた私の修煉の歩み」から同修の衝突、論争、対立などが暴露されました。実は旧勢力の「私」の表現で、先に他人を考えることができず、学法して正法の進程に及ばず、内に向かって探すことができないことがこんなに激しく現れたのです。他の地区の大法資料点はすべて作者が書いた現状とは違うかもしれませんが、他の地区に確かにこの類の状態が存在しています。このような状態が一定の代表性があるため、正法修煉の最後の段階で、このような振動が表れました。これは我々が更にこの状態を認識しなければなりません。

 文章が言及した不正常な状態は、「明慧週刊」第331期の数篇の交流文章で深く言及しました。7年の大型資料点の経歴を例えとして、文章の中の資料点での「内に向かって探す」のはただ表面の「初級レベル」に停まり、更に心の容量を大きくせず、更に内に向かって探さず、個人の段階に停まり、沈黙、解釈せず、ひたすら辛抱することで資料点の本当の作用が限られました。間隔があるから、他人と自分の差を大きくしました。全体の協調と上昇に対する責任を考えたのでしょうか? 実は内に向かって探せば、私達の周辺で起きたことはみな自分の修煉状態の現れです。もし私達が自分の容量を拡大し、それらの「私」がある協調人を円容し、現地の同修全体を円容すれば、私達はこの「私」はあなたで、私のではないと言えるでしょうか?

 私達はこの文章を見た時、感慨深かったのです。私は作者を理解しています。本当に理解しています。私達はそのような状態から抜け出した。資料を作らない同修は資料点を神聖だと思い、貴重な浄土だと思っていますが、資料点での同修に対しては「真」がありません。資料点の同修を偉く思うか、「悪く」推測するか、他の同修の間もこのようない状態が存在しているでは? 7年来、同修達は資料点の同修が「自慢」、「自分を同修の上に置く」ことを「心配」しました。私は同修を励ます言葉、積極的に助ける言葉を言いませんでした。直接認める唯一の言葉は「あなたは本当に容易ではないね」。批判は少なく、提案はとても多い。これも多くの心性摩擦の環境を形成した。

 大法弟子の状態は全体で昇華するべきだ。みな師父がいわれたた「無私無我で、なおかつ他の人を先に、自分をあとにする」基準に達すれば、やっと最後の有限な時間内で、更に多くの衆生を救えるのです!

 個人の悟りで、不適切なところはご指摘をお願いします。

 2008年6月8日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/29/179234.html