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2008年5月だけで8人の修煉者が迫害され死亡したことが確認された(写真)

(明慧日本)2008年5月、8人の中国本土の法輪功修煉者が中共の迫害を受けて殺された案件がまた確認された。その中で、女性の修煉者が2人(25%を占める)、50歳以上の年配の修煉者が3人(37.5%)いる。8人の犠牲者の中で5人は2008年1月〜5月の間に殺された。その中の3人は5月に殺された。明慧ネットの報道資料によると、2008年の1月〜4月の間に亡くなった42人の中、31人が2008年の1月〜5月の間に発生した。5月に明らかになったこの8人の犠牲者は次の地区で迫害を受け殺された。遼寧省2人、黒竜江省2人、吉林省2人、四川省と湖南省で1人ずついる。1999年7.20以後、法輪功への迫害が始まってから2008年の5月31日まで、確認されているだけで3156人の中国本土の修煉者が迫害され死亡した。

 遼寧省の呂仁清さんは、3カ所の刑務所に移送され迫害を受け、結局殺された

 呂仁清さん(39歳男姓)は、新濱県馬架子村に在住。1999年3月から法輪功の修煉を始めた。修煉する前は非常に乱暴な性格で、怒り易い人であった。呂さんは重い頭痛持ちだった。医師の診断書には、「三叉神経痛」とはっきり書かれていた。いろいろな所に行って治療を受けたが治らなかった。法輪功し始めてから、「真・善・忍」に従い、自分の性格を改め、より良い人になろうと心の修煉を始めた。困っている人を見ると自ら助けてあげようという心を持つようになった。その間、気が付くと今まで自分を苦しめていた酷い頭痛がなくなっていた。心身共に元気になった呂仁清さんは心より師父に感謝した。

法輪功修煉者・呂仁清さんと妻と子供

 1999年7.20以後、法輪功が中共に弾圧されると、呂さんはどうしても理解できなかった。なぜこんなに良い気功が政府に迫害されなければならないのか? 呂さんは北京に行き自らの経験を話したいと決意した。しかし、北京に着いた時、警察に逮捕され、地元新濱県に護送された。2週間後、再び上京し真相を訴えた。すると中共は呂さんに、不法に2年の労働教養の冤罪を下し、撫順市労働教養所に入れられ迫害された。

 呂仁清さんは、労働教養所から釈放され帰宅した後も、真相を伝え続けた。2002年7月1日、撫順市で真相を伝えていたところを市の公安局第一処の悪質な警官に連行され、撫順市第二留置場に入れられ監禁された。慌てて不法に判決を下した後、警察は呂さんを遼陽コウ子刑務所に監禁し迫害した。監禁中、様々な拷問を受け長期にわたり、呂さんに非人道的な虐待を実施した。例えば、独房で虐待する、管から流動食を胃に注入する(灌食)、殴打などを行った。元気だった呂さんの体は異変をきたし、2005年9月から血を吐くようになった。呼吸困難に陥り、苦しんでいたが、刑務所は一度も検査や治療をしなかった。呂さんは益々衰弱していった。

 2007年12月9日、邪悪な中共は、呂さんをさらに大連市甘井子刑務所に移し、引き続き迫害した。危篤状態に陥ったにも拘わらず、彼らは呂さんに過酷な重労働を強制した。呂さんは絶食して8日間抗議し続けた。その時毎日血を吐いていた。刑務所の医師の診察により肺に大きな空洞が見つかった。常時、命の危険にさらされていると医師は警告した。医師が2度も危篤状態に陥ったといい、死ぬかもしれないと通知したが、刑務所は釈放しなかった。

 2008年3月10日、家族の強い要求で、呂さんを鉄嶺刑務所から直接鉄嶺市結核病院に移送して緊急措置を行った。しかし、胸に多量の水が溜まり、心臓が圧迫されて大きなダメージを受けていた。医師は、命が危なく危篤状態に陥ったという診断書を書いた。手術をしたが、2008年4月19日、冤罪を晴らせないままこの世を去った。

  鄧淑芬さんが四川省成都市教育センターで迫害され死亡

 四川省成都市双流県の70歳の法輪功修煉者・鄧淑芬さんは連行され「法制教育センター」に監禁され洗脳された。40日間不法に監禁されて迫害を受け、2008年5月5日死亡した。

 「成都市法制教育センター」は直接中共の中央「610弁公室」に所属している。四川省の「610弁公室」と成都市の「610弁公室」が連携して運営している邪悪の巣窟であり、ボスは邪悪な中央政法委書記・周永康の直接「育てた」スパイ、ごろつき、やくざなどの集まりである。彼らの手段は非常に残虐なものである。最初は食事に毒物を混ぜる。その目的は生理機能を狂わせるのが狙いである。次に、法輪功修煉者は「病気」だと言って、彼らには責任を問わないと言った後に数人の男が入って来て、修煉者を力で抑え、神経を破壊する薬物を注射した。これに遭った修煉者はすぐ頭痛がし、精神状態が不安定になり始め、怖くなったり、筋肉が萎えたり、全身が痛くなった。

 成都市双流県籍田鎮の法輪功修煉者・鄧淑芬さんは田舎の普通の家庭の主婦である。殺されるまで中共に8回不法に連行され迫害された。鄧淑芬さんを連行する際に、政法委の警官・祝勇は鄧さんの家の鍵を壊して中に侵入し家具を壊した。

 2007年10月1日、鄧さんは鎮政府に行って法輪功の真相を伝えた。その日の夜中の零時、籍田鎮武装部長・蘇文華は政法委の悪警官・祝勇、籍田出張所の警官、聯防隊員・高世明などに指示し、鄧さんを連行して「成都市法制教育センター」に監禁した。鄧さんは40日間迫害され、食事を摂ることすらできなくなった。体は痩せ衰えた。自宅に戻って2カ月後、2008年5月5日、冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 法輪功修煉者・曹洪彦さんが吉林刑務所で殺された

 中共に8年間労働教養の不法判決を下された吉林省の法輪功修煉者・曹洪彦さんは、2007年10月9日、吉林刑務所で迫害され死亡した。曹洪彦さんの遺体が吉林公安の病院に放置されたとき、家族が死因を追及すると、警官は脳出血と言いだした。しかし、医師は検査したことがなく、脳を調べたこともないと言った。

 曹洪彦さんは、吉林刑務所で迫害され意識を失った後、2007年10月8日、吉林鉄道病院(公安医院)に送られた。家族が慌てて医院に駆けつけると、曹さんは点滴をしていた。しかし、その時、曹洪彦さんの体は一度も動くことはなかった。左眼は閉じているが、右眼は半開きの状態で、眼はじっとしたままだった。口は開いていた。10月9日の朝5時50分頃、家族は曹さんに新しい衣類を着がえさせていた時、曹さんの口から血が流れ出た。拭いても、拭いても出て止まらなかった。足に大きな黒い斑点があり、右胸にはコイン大の印が付いていた。家族が死因を追及すると、警官は脳出血と言い、医師は、我々は脳出血とは言っていないと答えた。10月9日、曹さんの遺体を慌てて火葬してしまった。

 曹さんは、1999年9月から法輪功を修煉したという理由で、中共に繰り返し連行され、監禁され、洗脳班で迫害されてきた。2002年、曹さんが職場から帰る途中、長春市楊家ワイ子出張所の悪質な警官に連行された。その後、不法に8年の労働教養の判決を下され、吉林刑務所に監禁され迫害された。

 2007年10月9日、迫害により死亡した。死亡原因はまだ明らかにされていない。

 吉林刑務所では今まで、劉成軍さん、魏修山さん、張建華さん、崔偉東さん、何元慧さんなど多数の法輪功修煉者が殺されている。カク迎強さんと雷明さんも吉林刑務所から他の刑務所に移送されてから間もなく死亡している。他にも数人の修煉者が迫害され身体が不自由になっている。今まで吉林刑務所から生きて出てきた法輪功修煉者はとても少ない。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2008年6月8日
 
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/6/8/179926.html