遼寧省瀋陽市:迫害されて死亡した法輪功修煉者・苗奇生さんを回想
(明慧日本) 苗奇生さんは瀋陽市出身で元瀋陽市科学情報研究所の職員だった。法輪大法を修煉してから、人柄がよくなり、仕事の上でも上司から高い評価を得ていた。2002年5月14日、苗さんは地元の公安の迫害により死亡した。
1995年夏、苗さんは法輪功の修煉を始めた。その後、修煉に励んでいくうち、苗さんの人生は大きく変わり、心身共に健康になり善に向かった。間もなく、皇姑区の補導員をすることになった。当時、苗さんは法を学ぶことに励み、また広大な北陵地区の修煉者たちと共に自ら手本を示して法輪功を伝え広めた。
いつもニコニコしていた苗さんの顔は、多くの人々に深い印象を残している。苗さんは師父が常に求められている「法をよく学ぶ」ことをきちんと守り、自分が先頭に立って毎日集団で学法するための時間を手配し、場所を提供し、皆を集めた。昼間は仕事、夜は各地の学法グループを訪ねた。冬の大雪の日も、朝、誰よりも早く煉功場所に来て、皆のために除雪していた。苗さんはこのように着実に自分の行動で法を実証していた。
1999年7.20朝、瀋陽の法輪功修煉者は省委員会へ法輪功への迫害を停止するよう陳情に行った。苗さんは大勢のいる現場の秩序を守ろうと修煉者たちに呼びかけていた。これ以後、苗さんは瀋陽市公安局のブラックリストに入れられた。その後、退職させられて行く所がなくなった。各地をさまよった苗さんは家に戻り、一家全員で北京へ法輪功のために陳情に行く用意をしていたところ、突然現れた公安に連行された。苗さんは無実ながら拷問などで苦しめられ、2年間不法監禁された。留置場、刑務所などを転々としていた苗さんは、どこへ行っても受刑者でも公安でも誰にでも、法輪功の受けた迫害の真相を伝えていた。公安は苗さんが法を堅持しているため、どんな手段でも「転向」させられないと言った。
2001年10月、釈放されて家に戻った苗さんは、「三つの事」に懸命に打ち込んだ。真相資料を作り、真相説明に全力を尽した。2002年5月14日昼ごろ、瀋陽市皇姑区向工派出所の警官に再び連行され、残虐な拷問で自白を強要された。全身に痛みが走っても、口一つも開けなかった。その後、両腕の骨折をして重傷を負う中、家に戻った。人に発見された時、苗さんは階段から落ちた事故のように頭部に重傷を負い、すでに死亡していた。しかし、苗さんを迫害し、死亡させた容疑者の公安たちはまだ捕まっていない。
苗奇生さんを死亡させた容疑者の中の瀋陽市皇姑分局局長は、「誰にもこのことを言いふらすな。言ったら、失業させる」と参与者を脅迫した。苗さんの遺体は焼却され、その後、家族は厳重に監視され、毎日恐怖にさらされている。また、苗さんの妻は公安に「このことを訴えたら、捕まえてやる」と脅迫されている。
苗さんの妻・祖黎明さんと幼い子供は、親戚の援助で生活していた。
2008年5月24日午後、祖黎明さんは再度家財を差し押さえられ、そして連行された。
2008年6月8日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/6/2/179560.html)
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