大きな災難に臨んで、道に迷わない 文/大陸弟子
(明慧日本)四川大震災が発生した後に、私の回りにいる多くの同修は平穏な心を持ちながら、法理に従って発生した事を理解しています。そして常人の状態に符合して人と同じように物と金を寄付する一方で、更に精進をして真相を説明して人を救っています。
しかし、一部の同修はこころが揺れ動き、常人の心が表れています。たとえば、ある同修は地震によって家屋が倒れて多くの死人などの凄まじい光景をみて、とても悲しみ、甚だしきに至ってはテレビを見ながら、涙がほろほろと流しました。あるいは積極的に常人の寄付活動に参加して、知人と会う度に「あなたは寄付しましたか? いくら寄付しましたか?」と聴き、話はいつも災害から離れず、自分が衆生を済度する責任を忘れてしまいました。ある同修はこのように広範囲に地震が発生したことを見て、法を正すことがもはやくると予感して、個人の私利の為の潜在的な興奮を覚えました。ある同修は毎日、大量の時間を使ってテレビのニュースを見ました。ある同修は真相説明をする時にあまりに言い過ぎました。
今日『転法輪(巻2)』を読むと師父の次の話がありました。「いつもある時期に大規模な災難が起こり、ある時期には小規模な災難が起こります。小規模な災難では一部の人類が滅亡し、一部の地区が腐敗堕落して壊滅されます。地震、大陸プレートの沈下、砂嵐に埋められ、あるいは伝染病、戦争など小さな劫難は局部的です」。最近来私達が経験したことはとても多いので、このよう事に対してよくわかっているはずですが、しかし何らかのことがあったらやはり心が浮草のように動き、常人社会の現象及び常人の情に左右されていますが、どんな基点に立っても自分が神になる道を歩む大法弟子であることを忘れず、師について衆生を済度することに動揺されてはいけません。
地震の事を言えば、それは中東戦争、9・11事件、津波などと同じく旧勢力が按排したものです。旧勢力の最も高層の元の生命が消滅されましたが、しかし法を正す事が到来する前にそれらの按排した運行機制がまだ存在しており、大法弟子としてこの点を明らかに分からなければなりません。近頃大陸地震の「ホットニュース」の中から、私は常人の寄付に対する熱狂と中共のマスコミが扇動して、一層人に無念と恐怖を齎したことを感じ、いっそう常人のもろさと衆生を済度することの緊迫を感じました。私達はさらに衆生を救い真相を説明して、同時に自分をよく修めるべきだと思います。
私たちはここ数年来絶えず発生した災害の中からある道理を悟りました。旧勢力がこれらの事を按排した目的は、一つは一部業力の大きい人と地区を消滅すること、更に重要なことは大法弟子にどれだけの人心が残っているかを試練し、大法弟子が邪魔されることがあるかどうか、それらのいわゆる基準に達しているかどうかを試練するのです。私達はさらに多く法を勉強し、謎を解ける大法を以って発生したすべてを識別すれば、どんな事がらも分かるのであって、正法の進行に付いて行かなければなりません。
2008年6月9日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/29/179334.html)
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