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福建省:福建女子刑務所が李清清さんを殺害した事実関係

(明慧日本)福建省の女子刑務所は、迫害で身体障害者になった女性法輪功修煉者の李清清さんを2005年の旧暦大晦日に自宅に帰した。その時、もうすでに体が完全に不自由になっていた。左手が動かず、両足とも歩けなくなり、骨盤のところに大きな穴があいて、中の骨がはっきり見えた。李清清さんの両親は娘のこんな姿を見て、耐えられず涙を流した。「綺麗で元気な娘を迫害して危篤状態になるまで虐待して家に帰した」と悲しんだ。わずか半年後、李清清さんは突発性神経炎でこの世を去った、わずか42歳だった。

 李清清さんは福安市後ロウ37号に在住。2000年のお正月の前上京し真相を伝え、警察に連行され福安まで護送され15日間監禁されて釈放された。2001年の夏、真相資料を配布中、8月22日に連行され福安留置場に監禁され迫害された。翌年の11月、福安裁判所は何の証拠もなしに不法に懲役5年の判決を下した。2003年1月28日、福建省女子刑務所に移して引き続き迫害した。女子刑務所では非人道的な迫害を受けながら奴隷のように働かせられた。

 2003年1月28日、李清清さんは福建省女子刑務所の第十一中隊に入れられ、警察官・李隊長の卑劣な拷問を受けた。法輪大法を中傷する内容のビデオを見ることを強制され、その後に40日間ずっと立ったままの懲罰を受けた。はじめは6昼夜立たせ、続いて39日間ずっと立たせた。毎日、夜中の2時まで立たせたあと、ある時、1週間ずっと立たせ、食事も立たせたままで摂らせた。その後、女子刑務所の政治委員の李美蘭は李清清さんを生産労働に参加させよと命じた。生産労働も決して軽いものではなく、過酷な労働だった。毎日夜中の零時まで靴を作る仕事を強制され、朝は4時に呼び出され働かせられた。

 李清清さんの信仰を止めさせるために、悪質な警察は非常に卑劣な非人道的手段を使った。李清清さんを事務室に呼んで、2人の女性警官がスタンガンで足の裏を攻撃した。2回このように残虐に迫害しても李清清さんの信仰を揺るがすことはできなかった。そして、邪悪はもっとエスカレートして、李清清さんを真っ暗な牢屋に入れて、両手に手錠をかけ、吊り上げ、足の指先が地面にぎりぎり触れるようにした。この状態で6昼夜苦しめた。その痛みはけっして想像できるものではなく、死んだ方が楽なほどの痛みだったという。トイレに行くたびに必ず「私は犯罪者です」と報告しないとトイレも許さないという。続いて両手を右と左に横に手錠をかけて4昼夜苦しめた。これが終わるとまた両手を横に手錠をかけて20日間ずっとこの形で苦しめた。その間わずか数時間だけ寝かせた。こうして35日間迫害されてから李清清さんは10日間絶食をしてこの非人道的な迫害に対して強く抗議した。李清清さんは迫害を受けて完全にボロボロになった後、危篤状態に陥ったのを見て、警察は殺人罪を逃れるために、わずかな息をしている李清清さんを自宅に帰した。こんな状態になっても李清清さんは不自由になった体を何とか動かして学校の玄関まで行って真相を伝えた。

 しかし、半年後にわずか42歳の李清清さんは迫害で突発性神経炎になり、冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年6月13日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/13/180186.html