日本明慧
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「私」を無くして「自我」の放下が出来 さらに人を救うことが出来る

(明慧日本)長い間、真面目に自己反省をしませんでした。更にこのまま進んではならず、問題に当たっていつも人の非を探し、いつも自分に不平を感じ、苦しくて悲観していました。心配そうな顔をして、どうしようもない様子で、ずっと乗り越えられませんでした。同修の不精進を惜しみ、夫、子供、母、身内の人のために心配している。・・・このすべては他人のために、他人の立場に身を置いて考えておらず、実はこれらのすべては、自分の要求と願望に適わないため怒っていました。自分が本当に内心から他人のために考えず、自分の好みによって他人に無理強いして、自分の各種の隠れた私心のために動いていました。こうなると、良い結果が得られるでしょうか? 「私」はすべてのよくない考え、よくない行為の根源であり、必ず取り除かなければなりません。いったん「私」が先に浮かんできたら、それからのすべてに良い結果は得られません。無私にして初めて真に自在になり、無私にして笑顔が現われ、無私にして慈悲心が生まれ、怨恨がなくなります。慈悲の心はすべてのよくない物質を溶かします。命令、要求、非難、咎めからは何も得られません。

 長い間、夫を救おうと繰り返し真相を説明し、時には涙をほろほろと流し、時には口論をしたり、彼に手紙を書いたりして、思い付いたことをすべて試し、話題がある限り話しましたが、対立はますます大きくなり、結婚生活が崩壊寸前になってしまいました。私はあきらめて彼を捨てようと思ったことがあります。しかし内心の奥深い所からはやはり放下できませんでした。離婚寸前になって、私は突然自分がどれだけ私心が強かったかと気付きました! 私はずっと彼を救いたいのではなくて、彼が私にとても優しいので彼を失いたくなかったのです! これは、まさに私の「私」で、私の彼に対する「情」が彼を済度する壁になっていました。

  私は自分の「私心」に恥じ入り、悔しく思いました! 私は他人のためにすべてを放下することができると言いながら、実は私は何も放下していませんでした。私は真に師父の話を聞いていなかったのです。「真・善・忍」の基準に従って一存一念、そして一つ一つの言動の中で自分を律し、自分を正すことをしていませんでした。自分でさえ正になっていないのに他人を正すことができるわけがないのです。実は多くの人心の後にはすべて一つの不潔な私心が隠れています! 見つけたたらすぐに一掃しなければなりません。多くの衆生を救うために早く大法に同化し、私心を取り除かなければなりません。ほとんどの心——恐怖心、怨恨、不平に思う心、闘争心、言い訳、嫉妬心、自分のために各種の理由を探すなどはすべてこの私心から発したものです。自分の隠れた私心に触れたとき、自分の利益が奪われたと感じて、過激な言動を起こすのです。

  私達の隠れている私心を探しましょう、そして徹底的に一掃して、共に精進しましょう。 

  2008年6月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/6/10/180001.html