■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/06/17/mh180830.html 



「人心凡重なれば洋を過ぐること難し」についての悟り

(明慧日本)修煉してからすでに13年がたちました。まさに師父が説法の中で触れられたように、あれこれとたくさんの難を体験してきました。

 私は1995年から修煉し始めた古い修煉者です。今日まで、さらに精進すべきなのに、私は学法が足りないため、精進できませんでした。退職したから本来ならば学法や煉功時間が増えて、三つのことをしっかり行えるようになるはずでしたが、怠惰な考えが強くなり、毎日が家事がいっぱいになって、昼から夜までいろんなことに忙しくて煉功ができず、心を煩わすことだらけでした。

 最近、娘が何度も結婚したり、再婚したりして、婚姻をさらに複雑にしたことで、私は怒り出して、自分が修煉者であることを忘れ、師父の説法も思い出せなくなりました。なんとか同修の妻が私に、「あなたは大法弟子です。理性をもってこの心性の関を乗り越えなさい。私と一緒に学法しましょう」と言いました。私は同修の精進ぶりをみて、非常に恥ずかしくなり、自分は本当に修煉しているのかと自分自身に問いかけました。

 師父は『転法輪』の中で、「常人の複雑な環境の中で、人と人との心性の摩擦の中で、そこからあなたが抜け出るということは何よりも難しいのです。はっきり分かっていながら常人としての利益を失うという現実的な利害の前で、心が動じるかどうか、人と人との間で心を探り合いながら暗闘する中で、心が動じるかどうか、肉親や親友が苦痛に見舞われた時、心が動じるかどうか、そういう時にいかに対処するのかなど、まさにこういうところが難しいのです。煉功者となることはこんなにも難しいものです」とおっしゃっていました。

 学法と交流を通して、私は心を鎮めて、自分がこの世にやってきたのは、ただ常人の生活を楽しむためにきたのではなく、私たちは師父が法を正すことを助け、一緒に本来の家に戻るためであると思いました。家族への情に執着すれば永遠に昇華できず、円満成就することはできません。私は娘に対する執着を放下すると、娘のほうも進展があり、よくなりました。私は初めて、修煉において、すべては偶然ではない、すべての出来事は、心に対して起きているのです。まさに、修煉とはその心を修めているのです。

 2008年6月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/6/17/180398.html

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