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師父の加護のお陰で、私は転んだ後また立ち上がった

(明慧日本)私は1996年から修煉が始めました。修煉する前、多種の疾病をわずらい、心臓病があり、唇が青く、いつも風にあたることを恐れ、寒さに弱く、帽子をかぶり、夏でも厚い服を着なければならず、本当に苦くて耐えられませんでした。修煉後、体がよくなって、薬を飲んだことがなく、見た目も若返り、同世代の人と比べても、私の白い髪の毛はとても少ないし、今年74歳になって、修煉のお陰で、すでに何度も生理がありました。 

 古い弟子なのに、法をよく理解しておらず、更に自分の心を修煉していないので、修煉の道に失敗しながら、今日まで頑張ってきました。根本的な執着を取り除いていないため、去年の夏に深刻な病業の反応が現れ、もう少しで命を失うところでしたが、幸に師父のご加護を頂いて私はもう一度新しい人生を得ました。偉大な師父に感謝して、師父の教え「転んだらすぐ立ち直り・・」(『2003年カナダバンクーバー法会での説法』)、をしっかりと心に刻んで、正法の流れに入り、大法弟子のすべき「三つの事」をしっかりと行います。今自分の失敗した経過を書いて、同じような同修が今後の戒めとすることを願い、教訓を汲み取って、徹底的に人心を捨てて、正しい道を歩き、旧勢力に機会を与えず、より多くの衆生を救います。

 去年5月、私は河北から山東の娘の家にいったとき、夏のある晩、娘婿が飲みすぎて家に帰りました。夫婦げんかを耳にして、娘婿はみだらな言葉で罵り、椅子をたたいたのを聞いて、私は心から怒りました。翌日昼ごろ、彼が飲みすぎて帰りも遅いし、病院に勤める娘は出勤が早いので、夜娘に休ませないなら、翌日出勤できないのではないかと私は娘婿を責めました。

 私は言えば言うほど怒りがつのり、自分の主意識が強くなく、心性を守れませんでした。魔性はもっと大きくなって、娘婿の自尊心をひどく傷つけました。娘婿を罵っただけではなく、また娘も責めました。娘婿は家庭状況がよくないため、まだ正式な仕事がなく、もともと私はこの婚姻に賛成しませんでした。その時、私はすでに理性がなくなり常人と同じになりました。娘婿は私の話を聞いて大きく刺激を受けて、車に乗って会社に帰りました。その後、私も冷静に内に向って探して、自分がかんしゃくを起こすことは間違ったことに気づきました。

 暫くして、病業の反応が現れて、吐き気や下痢をして、腹が痛くなりました。私は依然として自分の問題と意識せず、ただ暑気にあたったと思いました。数日間ずっとご飯が食べられず、毎日6、7回吐き、吐いたのは暗い緑色の臭い水でした。法を勉強する意志がなく、自分が修煉者だということを忘れました。1週間何も食べないで、点滴をして、10日経っても依然として好転せず、家族も恐れました。私の頭のなかではいくつかの考えが出てきました。周りの人々は私が長年法輪功を修煉していることを知っているので、もし私が死んだら、彼らは大法を信じなくなり、私は大法に泥を塗ることになるではありませんか。世間の人を助けることができますか?

 そこで私は娘の提案を受け入れて病院に行って検査をしました。この時、依然として目覚めることなく、徹底的に自分を患者だと思いました。数日過ぎても、依然として好転せず、約20日何も食べないで、すでに危篤状態になりました。この期間、師父は私に多くの機会を与えられましたが、私はすべて逃しました。 手術のあとで、ご飯を食べることができて、元気になりました。見た目は回復しましたが、なかなか精進できていないと感じました。病業は病院で治されて、自分の正念で突破したのではありません。私は大法にマイナスの影響をもたらしたのに、師父はまだ私を認められるでしょうか? 毎日妄想をしていて、法も学ばず、発正念もしませんでした。退院して1カ月後にまた再び病業が現れました。前回と同じで、吐いて、飲食することができなくなりました。

 同修は私と一緒に法を学んで発正念し、私を励まして内を探させました。長年修煉して根本的な執着心を取り除きましたか? そうですね、私はよく内を探すべきです。どうして娘婿が娘を苦しめることを私の耳に届けましたか? 自分を探すと、子供への情があまりに重く、彼女がいじめられることを心配しました。娘は結婚して10数年になりましたが、私は心の中でこの娘婿を受け入れず、彼の条件がよくないと思いました。心の底で、子供がよい生活をし、財産も権勢も得て、祖先の名を上げることを望んでおり、名利の心が重いのです。婚姻は人間が決めるものでなく、すべて夫婦の縁で運命付けられるものなのに、修煉者としての私はまだ娘の婚姻を気にしていました。私に世の中の幸福、世間で心地良く安心して暮らせる日を求め、調子が悪い時、私は師父の話を聞かないで、外に求めました。自分を老人だと思い、寒さに弱く、暑にも弱く、冷たい食べ物や病気を恐れて、死を怖がっていました。

 こんなに多い観念を執着して放さないのは、これでは条件をつけて法を学ぶのではありませんか。求める心を持ちながら修煉しているのではありませんか? これでは二足のわらじをはいているのではありませんか? 師父は私達を済度されましたが、私はまだ片方の手で人間のことを放さないでいました。師父に合わせる顔がありません!

 私はついに自分の根本の執着を探し当てて根を掘り出し、徹底的にそれらを一掃しました。法を学ぶことを通じて、正念が強くなり、法を師にすることができました。師父は『2005年サンフランシスコでの説法』の中で次のようにおっしゃいました。「学習者に深刻な病業が現れたのは、二つの目的のためにほかなりません。一つはこのような状態に陥らせることによって、周りの人がどのように見ているのかを見るためです。あなたの心がどのように動くのか、心が動じるかどうかを見ています。このことではありませんか?」「もう一つの目的は、学習者本人に対するものです。病業が現れた本人の修煉はどうなっているのでしょうか? この状態で強い正念を持ち乗り越えることができるのでしょうか? 本当に自分を神として見なし、何も気にしていないのでしょうか? 」。

 師父の法を学んで私は心を鎮めて考え、私は今度の病気の業力をきっと乗り越えます。前回自分の心がゆがんで、自分で求めました。だから師父も私を手伝えませんでした。今分かりました、自分で耐えなければならず、必ず心性を高めなければならず、病院では大法弟子の病気の業力を治療することができないのです。

 師父は『ロサンゼルス市での説法』の中では「常人がなぜ神の病気を治すことができるのでしょうか?」と教えられました。(以前は法を師にしていないため、病気の業力が現れて、観念によって師と法を信じませんでしたが、今心の中で正念が強くなりました)私は師父の弟子で、師父の按排に従って、徹底的に旧勢力を否定すれば、私が罹るのは病気ではなく、患者のようにいつもベッドに横たわることはありえません。師父は『ロサンゼルス市での説法』の中では、「あなたの体に現れた病業は、関を乗り越えるためのものであり、見た目は、必ず病業の状態になり、決して神が病気にかかるような現れではありません。それなら、正念で対処すべきです。あなたは修煉者だからです。ですから、それは決して本当の病気ではありません。しかし、その現れ方は単純なものではありません」とおっしゃいました。

 私の悟ったことは、更に師父を失望させることなく、この千載一遇の機会をも逃さないことです。師父は『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』の中では、「皆さんが自責するのを私は好きではありません。それは何の役にも立ちません。私はやはり先ほど言った言葉を言いますが、つまり、転んだら倒れたままにせず、早く起きなさい」とおっしゃいました。

 転んでも構わず、立ち上がらなければなりません。もし心性を高めないなら、師父の話を聞かず、旧勢力の道を歩いてしまいます。大弟弟子は大法を実証するべきです。私は生死を考えず、吐いても恐くなく、口が乾いて苦くて、ご飯を食べたくないのですが、むりやり食べました。食べるのは少なく、吐くことが多く、10数日が経ちましたが、心を動揺させないで、やるべきことをやりました。昼間法を学んで、断続的に発正念をして、私を迫害するすべての悪を一掃して、夜真相の資料を配りました。朝3時半に起きて煉功して、しっかり立てないときは、少し座ってまた煉功しました。このようにして、体はますます好転して、最後に完全に回復しました。私はとても大きい回り道を歩きましたが、師父の加護と同修の助けがなければ、結果は想像できませんでした。

 今私は師父の教えをしっかりと心に刻んで、正法の流れの中で、急いで人を助けています。四川大地震が発生した前に私は故郷の四川に帰って、師父の助けのもとで衆生を救って、また師父の加護のもとで5月1日に安全に息子の家に帰ります。本当に「自分で修めて、功は師父にお任せします」。すべて師父がしておられるので、私達は正しく歩けば、師父は私達のために決定されます。私のこの経歴を詳しく書いて、同修が今後戒めとして、しっかり実修して、根本的な執着を放棄して、厳粛に修煉し、正法の最後の時期に自分の使命と責任を忘れないようにと願っています。

 2008年6月19日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/10/179999.html