広州市:天河裁判所は法輪功修煉者・馮志剛さんに4年の判決を下した
(明慧日本)2008年5月30日、広州市天河裁判所は、公開開廷のような嘘の形式を利用して、馮志剛さんに4年の実刑判決を言い渡した。馮さん本人も家族も決してその判決に従わなかった。
馮さんは上告しようとしたが、結局、上告することを取りやめた。なぜかというと、第1回開廷のときに馮さんが無罪弁護したにもかかわらず、天河裁判所は全く憲法や法律に従わず、真相がわかっている状況のもとで、依然として不公正な判決を下した。家族は上告しても形式だけで、数年来、中共政権は法輪功に対して法律を守らなかった。家族はその4年の判決自体を承知していない。馮さん本人もその迫害に強く抗議している。馮さんはまだ、不法に天河留置場に監禁され、体も弱っており、家族は彼を即刻無条件で釈放することを強く要求している。
以前、馮さんは迫害によって体に重い内臓の障害を患った。その障害をもっていることを家族は数回にわたって広州の法を執行する部門に伝え、治療のために一時出所を要求したが、未だに返事はない。開廷判決の当日、馮さんは苦しくて嘔吐した。
1999年7月20日、江沢民集団が法輪功を迫害して以来、当地の中共政府に嫌がらせをされて、馮さんは家に住むことができず、半年間ぐらい居場所がない状態だった。
2001年はじめ、馮さんは再び北京に直訴に行ったが、公安局によって当地に連れ戻され50日間監禁された。その後また武漢獅子山労働教養所に1年半不法に監禁された。監禁の間に「管教」に残酷な迫害をされ、殴られて、死に至るところだった。警官は責任を負うことを恐れ、2002年3月、家族に治療のための一時出所許可を通告した。馮さんの肋骨は化膿して、胸腔は水がたまっていた。そして手術によって三つの肋骨を失くしてしまった。しかしその後、煉功することを続けたことによって体は回復した。
2005年8月、馮さんは友達の家で再び連行されて、数回殴られた後、2年半の不法な判決を下され、沙洋というところに監禁された。心身ともに迫害され、病気も悪化し、治療のため一時出所したが、当地の公安の妨害は続き、2006年の初めに再び居場所がない状態となって、その後広州へ行った。
2007年9月23日、馮さんは广州の广州天河区で天河公安分局「610弁公室」の警官に連行された。馮さんは天河留置場で体が弱って、腫れて、病区に隔離されながら監禁されている。家族は数千キロ離れたところから广州へ馮さんに会いに来たが、何回も面会要求をしたがすべて断られた。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2008年6月20日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/19/180534.html)
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