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牡丹江刑務所: 6年間迫害されて姜洪禄さんは重態に(写真)

(明慧日本)黒龍江省密山市の法輪功修煉者・姜洪禄さんは、密山公安局政保科科長・孟慶啓の銃撃を受けたうえ、14年の不法判決を言い渡され、牡丹江刑務所で不法監禁されて6年目になった。現在痩せて骨しか残っておらず、重い栄養不良で、言葉が正確に言えず、口が歪み、手が震えて、大脳の反応が鈍く、診断の結果、多発性脳梗塞、長期間の厳重な高血圧で、監禁を継続すれば命を失う危険性がある。

姜洪禄さん

 姜洪禄さんの家族は現在刑務所に釈放するように求めているが、刑務所側は拒絶している。姜洪禄さんを救うために各界の人士に支援の協力を強く呼びかける。

 姜洪禄さんは密山市道路管理所太平道路補修所の社員で、太平郷に住んでいた。1989年4歳の息子が過敏性気管支性喘息に罹り、10年間の医療費が4万元を超えたが治る見込みがなかった。1998年10月から子供が法輪功を修煉し始めたところ、治療しないのに完治した。

 法輪功が迫害され始めてから1999年10月6日、密山公安局政保科科長・孟慶啓は10数人を連れて突然姜洪禄さんの自宅に飛び込み、如何なる法律的な手続きもない状態で不法に財産を没収し、900元、ビデオなどの私物を奪い、また姜洪禄さん夫婦を連行して留置場に1カ月以上も監禁し、1万2千元をゆすってからようやく2人を釈放した。姜洪禄さんは関連部門に行ってこのようなゆすり取り行為を告発したが、関連部門は「これは上からの意思で、承諾できない場合、北京へ行って告発して下さい」と言われた。そこで1999年12月1日姜洪禄さんは北京に陳情に行ったが、北京前門派出所で不法に拘束され、密山留置場に移送されて、孟慶啓らの数回の再審理を受け、殴打されて全身が傷だらけになり、その後、鶏西労働教養所に移送されて継続して迫害を受けた。

 孟慶啓が法輪功修煉者を迫害し、金銭財物をゆする行為が公に暴露されて、市部門の上司から「仕事を纏める事が出来ず、人に尻尾を捕まえられた」と批判され、ゆすったお金を返済するように命令された。孟慶啓は仕方なく、ゆすったお金8千元と携帯を返済し、姜洪禄さんには4千元を返済したことで、恨みを抱き始めた。

 2002年2月12日、旧暦の正月1日、姜洪禄さんと他の法輪功修煉者が密山の東安大通りを歩いている時、孟慶啓、杜永山らが追いかけて来て、姜洪禄さんの頭部、顔を殴り鮮血が流れ出した。姜洪禄さんは懸命にもがいて南の方向に逃げる時、孟慶啓が銃を取り出して連続9発を撃った。姜洪禄さんの左足膝の下6cmの所に命中し、その後、飛びかかって乱暴に殴打した。姜洪禄さんは頭部に約6.5cmの傷口が生じ(5針縫合)、頭、顔が変形して、左眼が突き出て、両眼から血が流れ出し、目を開けることが出来なかった。

 2002年10月23日、密山共産邪党が裁判所を操り、8人の法輪功修煉者を裁判した。裁判所で法官は姜洪禄さんの事実経緯の説明を拒絶し、姜洪禄さん銃撃事件で「警察を襲撃した」と承認するように脅迫したが、姜洪禄さんに厳しく断わられた。邪悪な警官・劉小虎(警察番号238675)はその場で姜洪禄さんを酷く殴ったが、台上の法官、市委員会の副書記・李連春、台下の200人を越える人達の中で、誰一人制止しようとしなかった。他の7人の法輪功修煉者たちが邪悪な警官を制止しようとしたら、李連春は飛びあがって大声で「お前たちは反乱するつもりなのか、もっと厳しく判決する」と叫んだ。

 姜洪禄さんは14年の不法判決を言い渡されて2003年に鶏西哈達刑務所に監禁され、7月に牡丹江刑務所に移送されて迫害を受けた。2005年1月20日、姜洪禄さんが邪悪の迫害に協力しなかったことで、三監区の監区長・汪偉東により迫害に使用されている密閉された部屋に監禁した。3〜4㎡の小部屋で床の真ん中に金属の輪状物があり、人に手錠と足枷をかけてから金属の輪状物に固定すると動けなくなり、立つ事もしゃがむ事も、横になって寝ることも出来ず、腰を曲げて座ることしかできない。そのままで年明けの5日前にようやく三監区に戻されたが、既に痩せて骨しか残らなかった。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年6月20日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/19/180541.html