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最近 法を学ぶことについての理解

 (明慧日本)(文・如意)最近二人の修煉者と話してみたところ、二人はそれぞれ修煉での悩みを抱えている。一人は法を学ぶと眠くなり、もう一人は理性を持って法理を理解できず、ページをめくってはいるものの、読んだあとは何も思い出すことも出来なければ、新たな悟りもないようだ。このことについて自分の考えを皆さんと分かち合いたいと思う。法はこの上なくすばらしいもので、自分の考えは必ずしも正しいとは限らないため、ご指摘を願いたい。

 ある段階で私は「せっかち」の状態に陥っていた。法を学ぶのも、煉功するのも、真相を伝えるのも、生活をするのですら急いでいた。心身ともにストレスを感じるようになり、心臓の鼓動も早くなったような気がした。徐々に私は、このような習慣的なせっかちな状態は正常ではないことに気づいた。そこで、師父の経文を思い出した。「法は一切の執着を打破することができて、法は一切の邪悪を打破することができますし、法は一切の虚言を打破することができて、法は正念を固めることができるのです。」(妨害を排除せよ)それで自分のやるべきことがはっきりしたのだ。

 1.しっかりと法を学び、常人の固定観念などを取り除き、法を学ぶとき、煉功するとき、真相説明するときに100%集中することにした。もし、頭の中であれこれ計算しているならば、法理に基づいて行動する神々が悟らせてはくれないはずだ。そのような状態は師父や法に対して失敬である。法を学ぶときに湧いてくるあらゆる常人的な考えは思想業力であり、それによる妨害である。私の解決方法はまず『論語』と『主意識は強くもつべし』を黙読して、それから法を学ぶことだ。それで頭もすっきりするのだ。

 2.あらゆる妨害を取り除く。準備ができたところで、真剣に座禅をして、法を学び始める。時にのどが渇いたり、眠くなったり、集中できなかったりもする。これらの現象を一切妨害として認識し、影響されることなく、巌のごとく法を学び続けたら、妨害も徐々になくなり、全身が温かいエネルギーに包まれ、思考もより鮮明に、いつもより落ち着くことができる。あらゆる妨害に従わないという意識すら持たないことが重要だと思う。妨害の意識にしたがって、寝てしまったら、起きるのは簡単なことではない。強い意志を持ち、忍耐し続けることが重要だ。偉大なる師父がいて、すばらしい法があって、大切にしなければならないだろう。

 3.法を学ぶときは落ち着いて、スピードを追求しない。毎日一講でも二講でも学べばいい。学んだ後にどれだけ理解できるのか、得られるのかがポイントだ。落ち着いて学ぶと頭が空っぽになり、本当に師父や法を大事にしたい心が湧いてきて、師父がきっと悟らせてくれる。そこで意識的に悟りたいと思って学ぶのではなくて、「無為」の心情で自然に任せる状態が理想である。純粋で落ち着いた状態で法を学ぶと、時には師父の慈悲に感動させられ、知らないうちに涙を流すこともあり、師父に対する尊敬と感謝が心のそこから出てきて、法を得て、修煉者になれたことを幸運に思う。感動のあまり、「自分に師父がいて、法があって、もうこれ以上求めるものは何もない。」と言い聞かせていた。

 このようなさまざまな妨害により、しっかりと法を学んでも理解できない、または法をあまり学ばない修煉者はしっかりと目を覚まし、宝の山に入ったのに、何も手に入れられないままでいる事がない様に願いたい。自分の生命にとってどれだけの損失なのかを真剣に考える必要があると思う。命の方向性を決めたら、悔いのないように、最後まで歩んでいこう。修煉はなんとなくやっていたのでは円満成就できない。最後は本物しか残らないのだ!

 2008年6月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/18/180496.html