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新唐人テレビ局の放送中止について、私達は何をしたのか

(明慧日本)20日ごろ、明慧ネットを開くと、突然ヨーロッパのユーテルサット社は、技術的な故障を理由に、新唐人テレビ局の放送を中止したニュースが飛び込んできた。最初、私はいつものように、中国大陸にいる私達はただ発正念で応援するだけで、その他のことは、海外にいる同修たちが実際に抗議するなり、交渉するなり、真相を伝えるであろうと思っていました。そして、周りの同修に発正念を呼びかけることで、自分は大法弟子としてやるべきことをやったと思っていました。

 翌日、もう一度明慧ネットを見てみると、ユーテルサット社による放送中止を知らせる記事の下に、ユーテルサット社のホームページのリンクがあったのに気づいた。ついでに見てみると、私はあまり英語が得意ではないが、ユーテルサット社の各部門の電話番号やメールアドレスが記載されているのを発見した。どうせやるなら、なぜ彼らにメールを送って自分の意見を伝えようとしないのか、と思いました。

 そこで私は、ただちにメールを作成し始めました。私は英語があまり得意でないので、大法弟子として真相を伝えるよりも、一般市民の身分で抗議文を簡単に書いてみました。書き出してから、すべての単語をパソコンを入力するとき、私はこれらは大法弟子として行うべきことであると感じました。しかも、ふだんでは覚えていない単語も、一回だけで正しく入力できました。電子辞書を使って2、3個の単語を調べてから、20分以内におよそ100語以上の簡単な英語のメールを作ることができました。私は師父によるご加持に感謝しました。メールを書く中で、私はずっと自分自身に対して、私は大法弟子であり必ず善を相手に伝えなければならないと言い続け、すべての正直な人に神様のご加護がありますように、という一文を付け加えました。文法に大きな問題がないと思ったので、すべてのメールの送信を邪魔する妨害を取り除くよう発正念すると同時に、師父のご加持をお願いした後、私はパリにおける営業部門にメールを送りました。メールを送ってから、私はただちに、ホームページには他の部署のメールアドレスもあったので、私はなぜ他の部署にも送らないのかと思いました。私はただ常人の中で、自分の経験や知識からして、営業部門が最も顧客に近い立場にあるからと思っていたのです。私はこのような考えは正しくないと思いました。私は真相を伝えるのであって、商業行為をしているのではありません。そこで、私は再びユーテルサット社のホームページに入って、すべてのメールアドレスをもう一度探し出し、さきほど書いたメールをそれぞれの部署にすべて送りました。

 今朝、同修とこのことについて交流した時、自分に漏れがあると感じました。私は真相を伝えるメールを送ったのですが、北京におけるユーテルサット社の支社には送っていません。その時、ユーテルサット社支社の従業員は、中国人または中国共産党による洗脳を受けている人が多いので、たくさん言っても意味がないと思いました。しかし、私はただちに自分のやっている基点に問題があることに気づきました。一方、師父に対する信念が足りない、また自分がやることを心から認識していないと思いました。「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)。師父は必ず私達のすべての妨害を取り除いてくださいます。また、真相を伝えるのは、衆生を救い済度することに基点を置くべきであって、問題を解決することに基点を置くべきではありません。中国共産党による洗脳を受けている者だからこそ、真相を伝える意味があるのです。そこで私は、まず明日になってから発正念をして、北京におけるユーテルサット社の支社に対してもメールを送ろうと考えました。

 今回の件を通して、私は大法弟子は一つの全体であり、どんな時でも邪悪の妨害を受ける可能性があると感じました。ですから常に、自分の内に向けて、自分に自我の要素はないのか、自分は衆生を救い済度するために何ができるのかを考えなければなりません。すべての問題は、衆生を救い済度するという基点に立つべきです。と同時に、大法弟子の行っているすべてのことは、衆生を救い済度しているのです。これらのことには、師父が私達が心性を向上させる要素を入れてくださっているのかもしれません。しかも、大法弟子としてきちんと実行できれば、悪いことも良いことに変わります。

 ですから、中国大陸の大法弟子も含めて、頼る人心を捨てて、特に外国語のできる条件の整っている同修は皆、集団で電話をかけるなり、メールを送るなり、新唐人の件について抗議を送りましょう。これは、真相を伝えるチャンスであり、中国語で書いたとしても、大法弟子の一念が強ければ、必ず邪悪を取り除くことができます。作用をもたらすのは師父の法であって、表面の人間の言葉ではありません。悪人をコントロールする邪悪を解体すれば、すべては自然に解決されます。ですから、決して問題を解決すること自身に執着してはなりません。

 2008年7月2日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/6/26/180933.html