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山東省:チー廷松さんの家族は訴訟で賠償金を獲得(写真)

(明慧日本)山東省莱蕪市の法輪功修煉者・チー廷松さんは、2007年10月15日に莱蕪市の悪辣な警官らに連行され、11月11日に迫害により死亡した。家族は半年来、ひっきりなしに関連部門へ陳情し、訴えたが、誰にも相手にされなかった。誰に対しても性格が明るくて人柄のよい人が、人間とは言えない悪党に苦しめられて亡くなった。しかし、この事件に関与する勇気のある人はおらず、反って家族は侮辱を受け、甚だしきに至っては脅されている。

チー廷松さんの生前の写真

 チーさんの奥さん(法輪功を修煉していない)は莱蕪市公安局に行き、関係者にチーさんを虐殺した犯人を処罰し、そして夫のために濡れ衣を晴らすことを求めた。その中である局長は意外にも「チー廷松が死んだのは、彼が昇天したいと言ったからだ」と吐いた。奥さんは「あなたはなぜ昇天しないの?」と詰問した。彼は、自分は法輪功を修煉しないからだと言った。奥さんは「法輪功を修煉していい人になるから死なない。死ぬ人は法輪功を修煉しない、悪事を働く人だ」と言った。

 邪党政府の汚職官吏、警官は、上から下まで結託して悪事を働き、人々が労働で稼いだ金を奪い取り、もっぱら人々に災いをもたらしている。

 奥さんは病気の体で、悲痛な気持ちに耐えて訴訟しようとしたが、なかなか果たせなかった。家庭生活が困難な状況で、夫の冤罪を晴らすために、仕方なく弁護士を頼んだ。

 弁護士がこの事件を受理した後、山東省の悪党の「610弁公室」、山東省司法局は、弁護士に対して相談するという名目で脅し、絶えず圧力をかけ、弁護士にこの事件を受理させないようにした。莱蕪市政治法律委員会、莱蕪市公安局も弁護士に対して頻繁にかき乱し、誘惑そして脅した。つまり悪党の使い慣れた手口は、デマを飛ばし、濡れ衣を着せることである。彼らが弁護士に渡した関連証明書類には、チーさんはすでに「重病のため、服役中の一時出所」をした。そして家族もすでに同意して「署名した」と偽って、チーさんの死亡が彼らとは関係ないと嘘をついた。事実は、チーさんは彼らに苦しめられ、生命が危篤になった時、彼らはチーさんが治ってから彼らの迫害を暴き出すのを恐れ、注射と薬を中止した、結局、チーさんはついに治療を受けられないままに亡くなった。しかしその後彼らはまた焦って責任を逃れるために、家族の悲しみに構わず、すでに釈放されたと証明させようと署名を強要したが、家族に断わられた。

 この事件はまさしく悪党の扇動、脅迫の下で、警察らが個人の利益のために結託して殺人をした。悪党はすでに末路になり、自分で決めた法律にも従わず、思う存分したい放題

 で、人を殺し、すこしの偽装も要らなくなり、その邪悪な本性をすっかりあらわにした。チーさんが迫害されて死亡した翌日、山東省の「610弁公室」のボスが莱蕪市に来て、莱蕪テレビで大法と法輪功修煉者を誹謗中傷し、悪人のごろつき行為を支持した。

 家族が依頼した弁護士は正義を堅持し、徹底的に抗争したため、莱蕪市公安局は道理に詰まって弁護士の調停を承諾しなければならなくなった。そして経済的弁償を行い、家族に8万人民元と死体保存料1万8千元を弁償した。チーさんの遺体は2008年5月14日に火葬された。

 チー廷松さんが死亡するまでの経過

 チー廷松さん(67歳男性)は、もと山東省の新モン鉱山事務局のガク庄炭鉱の退職教師だった。2007年10月15日、悪辣な警官らに連行され、11月5日夜、莱蕪市病院に送られて応急手当を受けた。翌6日の朝3時10分、病院側が「危篤通知書」を出した。病院の鑑定では、チーさんは内臓機能衰弱、上部消化官の出血、内部損傷が深刻だった。悪人らはチーさんが危篤状態になったと判断し、家族に署名をさせ、既に釈放したと証明を強制した。6日午前、ガク庄炭砿の保衛科課長・楊楽平、莱蕪市警察、検察、裁判所の悪人らは梁坂派出所で秘密に画策し、チーさんがいわゆる「×教に参与して法律の実施を妨害」、「法の裁きを恐れて自殺した」との罪名を内定。チーさんは11月11日午前、新モン鉱山グループの中心病院で冤罪が晴れないまま亡くなった。チーさんが意識不明の状態の時に大量の血便をしたことがあり、口からも吐血していた。カルテには肝臓、心臓、腎臓が深刻に衰弱し、輸血が必要な原因は貧血で、上部消化官からの出血であり、唇の潰瘍、舌が黒くて短くなり、断面が平滑、後腰部と腕に深刻な傷跡があるなどとあった。

 2008年7月5日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/6/29/181126.html